ふらいんぐうぃっち 第6話

 せっかく魔法をかけているのに、映画に熱中する圭。
 やっぱ不思議な魅力だよな。今回は千夏が魔女見習いになる話、姉が真琴にさゝやかな魔法を教えるの第二弾といったところなのだが、そもそもこの作品での魔法って何のメタファーなのか?、千夏はなんで魔女になりたいと思ったのかとかいろいろ考えていた。約束事としての他人に魔女と知られてはならないだとか、前回の老婆が言った、若い頃魔女と知り合いだったがフツーの女の子だったとか、今のところはあんまり魔法になんか絶大な力があるとも思われない。例えばこう他の作品だと、魔法は権力のメタファーだとか、もっと単純に力であるとか、魔女っ娘モノみたいに変身するんだったら、なにか資格だとかそんな記号が連想されるのだが、ちょっとそういうものとは毛色が違う。魔女とバれてはならないということは、おそらく魔法自体もそんなに他人に知覚されるようなものでもないように思われる。なんか他人とは違う考え方だとか性向だとかそのぐらいのものであって、例えばある職業人が持っている一般人にはちょっと一朝一夕には身に付けることができない技能程度のそんなものであって、何か物理法則に反するようなことをやってのけるとかそういう大そうな物ではないのだが、それではあまりに一般人との区別がつかないからしかたがなくいわゆる一般的な認知度の大きい魔法らしきものを記号として使ってんのかなと思わなくもない。
 でもって、千夏はどうして魔女になりたいのか?というところだが、もちろん子供だから見栄えのするほうきに乗って空を飛ぶというところにひきつけられてはいるんだろうけど、おそらく真琴や茜の日々の楽しみ方、物腰、物事の捉え方あたりに魅力を感じているんだろうなという気がする。ちょっと素敵なお姉さま方に憧れるとかそんなの。人より秀でていることを誇るんじゃなくて、自分を人より大きく見せるのでもなくて、等身大の自分であることってのもあるんだろうなとか思ったり。