Re:ゼロから始める異世界生活 第13話

 やっぱスタッフも困惑ってところかねぇ。
 なんか原作を読んだときと印象が違う。スバルが騎士になる流れではもうちょっと周囲にも受け入れられていたような気もするが、なにしろ記憶がはっきりしなくなってるからな。よくわからんのはスバルが他者に死に戻りに言及しようとすると阻止されること。よくよく考えてみると、仮にスバルがそれを言ったとしても周囲がそれを信じるかどうか、むしろ信じる可能性は極小なので、なんでいわゆるスバルに死に戻りさせている「ゲームマスター」はそれをそれほど重要視するのか不思議なところ。仮に証明するにしてもその世界でのスバルは死んでまたそれまでの過去が一切なかったことになる世界に転生させられるだけの話なので頭のおかしなやつの戯言と受け止められて問題ないような気がする。自分の拙い記憶ではその「ゲームマスター」の干渉をスバルが逆手に取る展開が以降あったように思うが、それもなんか物語上のルール違反だよなぁという気はする。
 今回、別世界の体験がスバルを苦しめるだとか、この世界でなにも持たされないものゝ苦しみや悲哀だとかそういうのが盛り込まれているんだろうなというのはわかるんだけど、彼自身がこの世界の流儀を一切無視しているところからするとちょっと同情できないなぁ。例えばスバルは転生前の世界(いわゆる現代日本ね)で、総理大臣だとか大統領を目指す見目麗しい女の子がいたとして、彼はこの話のような行動に出たか?ということ。そんなの現実に押しつぶされて行動に出る前にブルっちまうというか、行動することすら思いつかず小市民としておとなしく日常に埋没しているはず。この世界でスバルがやってることは、結局のところ現代日本での知識を持ち込んでズルはするくせに、エミリアはおろかこの世界のことはほとんど知ろうともせず、旅の恥はかき捨てとばかりに暴走しているだけ。ちょっと見苦しいというのを通り越して同情できないレヴェルではあるんだよな。
 で、その構造は、例えば人間生まれでその世界での地位が決まり、特権階級に都合の良い社会は変えようもなく、貧乏人は自分に不利な状況であることを受け入れることしかできず、仮に変えることができるにしても、それはその貧乏人の努力の大きさよりは運の要素が圧倒的に大きいという状況と一致させているというのはわかる。スバルは無力で、それまでの常識が一切通用しない世界に放り込まれる状況というのは、そういう生まれですべてが決まってしまう状況と違いはしないんだが、別にそれもわざわざ異世界に転生させるってことをしなくても、現代日本を舞台にやればよいことなんで、スバルを媒介にした「どうせおとなしくしていても状況は変わらないんだから、いくら無力であろうと人になんと思われようとも必死であがけ」というメッセーヂはあまり沁みてこない。うまくいかなきゃやり直しが何度でもやれるってのも拍車をかけているような気もする。そのへん王宮でのやりとりはもっとスバルを見苦しく見せるような演出はいくらでもできる*1はずなのに、この程度で済ませているところからすると、スタッフのヤレヤレ感というか、むしろ反対に底意地の悪さあたりが想起されてどうにも微妙な感じ。
 いちおう今回の話の山場はヒキのスバルの逆切れ部分だとは思うのだが、王宮でのやんごとない方々のやり取りがシェースクピアばりの諧謔性を含んでいることや、フェルトの王撰の参加の経緯あたり見どころはあるので、なんかこう食べ合わせが悪いというか、違う性質のものを混ぜたときの継ぎはぎ感がパネェというか。構造的には史実にフィクションを混ぜて視聴者に臨場感を持たせる技法と同じではあるんだが、史実の部分がファンタジーというフィクションだからこれまたなにやら異質のものどうしのキメラであってこれも気味が悪い。物語技法の実験としては面白いのだが、シナリオとしての出来が今一なんで商業としてはやはり微妙という気はする。

*1:おそらく見苦しくすることが正しいと思うのだが、そうしてしまうと見切りが激増する。