くまみこ 第10話

 なんのかんのいって、つくった巫女服がよく活用されてるじゃないか。
 なし崩し的にまちがアイドルにさせられるの巻。ちょっと意外だったのは響が良夫とまちに嫉妬などしてないこと。まぁ田舎の人間関係だとこれが普通ではあるのだが、どう考えても本作は萌えアニメ。そこは鞘当てとか三角関係とか絡めるのが普通だったりするので、それを排除していることは普通に感心。ナツとまち、良夫と響が擬似夫婦関係だってのを除いたとしても、まちと良夫に恋愛感情があるというのを持ち込むとおそらく過疎問題がボける。
 前回が村からの人の流出を防ぐ回だったとすると、今回は本格的に対外的な情宣活動になる。これは人目につくことが重要なので、投資したカネをどぶに捨てるつもりでやらねばならない。とにかく人に知ってもらうというのが第一目標で、有名になるかどうかはさらに博打度が上がるが、その次になる。が、これも成功例は皆無に近いものがある。ゆるキャラグランプリもその流れだろうし、やれひこにゃんだのくまもん、ふなっしーは全国的に有名にはなったが、それで特産品がバカ売れしたわけでも、大量に人が移住したわけでもない。そうするためにはまた地味で別の方策を採らねばならないのだが、いちおう漫画やアニメがこの作品のフィールドであり、キャラ押し方向からというお話なのでそれについては基本的に述べないということだろうと思う。
 村興しというのを原点に考えてみると、成立する条件ってのはまづ日本全体の庶民に余裕があり、自分の消費行動に地域に目を向けるということの優先順位が上がっているということが必要。ところが、そもそもの経緯が、地方から都市が人を奪い、人がいなくなれば仕事がなくなり、それに伴って地域に蓄積されていた社会資本も経済資本も都市部に吸い取られる結果になっており、しかも上の条件にある庶民に余裕なんて無い。自民盗が労働分配率を下がる流れになるような政策をとっているばかりか、貧乏人から奪ってカネ持ちに配るという所得再分配政策を取っており、地方の貧乏人は職のない地方を捨てざるを得ず、かといって都市部の貧乏人も職のない地方に移住するはずも無い。江戸時代の昔から、地方は都市部への人口供給源、都市部は人間の消費地ではあったのだが、しかし、生産の場は圧倒的に地方であり、都市部は生産地とはいえなかった。そういう構造を地方公共団体や、地方に優秀な人材がいたとしてもそいつになんとかできる範疇を超えてる。だいたいネットや雑誌で見る移住者の姿は、たいてい移住者が経済的強者で仕事は自分でなんとかしてる。地元民が仕事に関してなんの実力もなく自分達の風習に従えって態度なら呆れられて当然。そんなところに移住者が行くはずがない。そしてそういう現状を物語に持ち込むわけにはいかない。そういう漫画を人が喜んで読むとは到底思えない。
 自分がこのアニメを今まで視聴して思うのは、結構良夫の村興し奮闘記の割合が大きいこと。おそらくナツ&まちと対等の位置にある。自分は原作未読なので勝手な判断でしかないが、おそらく原作から受ける雰囲気はナツ&まちが前面に押し出されているって感じではなかろうか。原作者がめざしたのはもしかして乙嫁語りスラップスティック版といったところで、限界集落という社会問題は背景にするにしろ、あんまりその解消について一石を投じるという姿勢はほとんどないとかそんなんじゃなかろうか。ところが、アニメスタッフは過疎問題の配分を上げたかったとかそんなの。