霊剣山 星屑たちの宴 第12話

 最初っから第二期前提の作りだろ。
 いちおう最終回。なにか事件があるわけでもなく、前回からの話を受けて下山しての修行につなげるお話。剣法も自分で流派を作るぐらいでないと…の段や、シミュレーションを頭で繰り返しても身に付かず、やはり経験がものを言うだのそれなりのメッセージはあるのだが、すごい盛り上がりに欠ける。よく考えてみれば、こいつらは入門期12歳であり、今14歳とかそんなのだから、この作品のメッセージの伝え先はおそらく中学生(中国では日本の中学校、高等学校が一律中学というのにまとめられている)だろう。主人公の王陸が頭がよいという設定だが、昔自分が中国に旅行した折に、小学校ですら校門に成績優秀順に生徒の名前が掲示されていたぐらいだから、成績競争が激しく優秀者に対する憧れはあると思われるし、そういう環境でエリートである生徒と王陸を重ねているハズ。まぁ日本ではもう合衆国のスクールカーストを踏襲してしまって今や見る影もないっぽいらしいが、かつて日本でも高度経済成長期からバブル崩壊までそれなりに見られた風景。
 逆にそういうターゲット層に仙侠ものとしてこれだけ説明口調な作品が支持されるわけだから、ちょっとおそろしい。というより、前にも述べたが、こういう小難しそうなコミュニケーションものをそれなりに支持して視聴する層が、割合としては少なくても中国は人口が多いから刺さる層も日本のことを考えると無視できないほどの人数になるというだけのことだろうが。
 正直1クール通して視聴してみた感じ、一つの物語としての作品のクォリティはちょっと戴けないというほどのもの。画が粗いというのではなく、主張を順序立てゝ演出効果も織り交ぜてといったところでは、やはり日本のアニメのほうが格段に理解しやすい。が、なんていうのか、集中できれば語られていることの密度はこちらのほうが圧倒的に多い。散漫ではあるが、向こうでは伝統的なフォーマットにしたがって、とにかく抽象的なものをねじ込んでいるようで、このへん日本の作品はスカスカといったところ。とはいえ、別に日本のテキストスタッフが劣っているというとかそんなのではなくて、こういう作品を投げたところで大抵のアニメ視聴者には見向きもされないから作られないといったところだろう。日本だと物語性というよりは、キャラの関係性を重視する方向が近年強くなっているので、方向性が違ってきているというだけ。むしろ製作者の質を問うのではなく、視聴者の質が問われているとは思う。日本では近代というものからむしろ後退して意識が内向きになっており、じゃぁ中国が上向きかと言われると決してそうとも言ってられないのだが、ある程度成長してそのスピードが弱まっても、ニッチにいくらでもちょこっとして成長余地が数限りなく残っているから、若者の意識も日本よりは上向きなのだとは思う。評価はおもろぐらいだが、期待度は高い作品だった。