ちはやふる 第10話

 要するに、新は太一の気持ちを知っていて、抜け駆けしないって態度なのね…。
 やっぱりたちふさがる壁とそれをぶちやぶるってのは1話に詰め込むらしい。大体危機の到来でヒキ、続きは次回ってパターンが多いように思っていたのだが、よく考えてみたら昔の子供向けアニメってこのようなのが多かったような気がする。しかしなんかもう部員5人のポジヽョンがゞっちり決まっているな。千早・太一はともかく、肉まん君は嵐のきっかけ、奏は調整役というかお母さん役、机くんはルーキー。個人的にはこの5人が役割分担して極まっているよりは、個性は薄めでもうちょっと一人一人が大人ってほうが好みなんだけど、高一だしこんなもんか。
 しかし1話1話を単体で見ると起承転結はっきりしていて見事なほどに物語になっているんだが、実は最初から通して見るとすごくピーキー。主人公が旧友と再会、すぐ部の立ち上げをして部員探し。しかも残り3人がスグ見つかって短時間に練習、合宿までやって付け焼刃なところで大会出場。部員が出場を拒否するも決勝戦にまで到達って、どう考えても出来すぎだろ。ありえん。ホント真面目にかるたやってる人に失礼なんじゃ?。まさか決勝戦で勝つのか…。
 今回なんか凄くタイミングが良かったと思うんだが、どうしてもモーパイのディンギーレースと比較してしまった。かるたのほうが燃える描写なんだけど、自分なんかはディンギーレースのアイの態度にどうしても惹かれてしまう。もう自分も歳を取ったから、自分でなにかしらの競技に出場して勝つということに情熱を持ち得ないからなのかな?と思っていたが、高校生の頃を思い出すと、運動部でなかったせいか、もしかすると今と同じように、勝つために団結する事に心躍る気持ちにはなったとしても、やはり勝つよりは楽しむことを優先してたかもしれないなんて考えていた。勝つために努力して結果が出ないと惨めな気分になりはしないか?ってのもある。自分のした努力は思いあがりかもしれないし、いや、人事は尽くしたのだが勝負は時の運って感じかもしれないが、でも勝てなかったら悔しいってのはなんかね、今となっては結果としての「勝ち」にどれほど意味があるのかということを考えてしまうのだ。勝ってカネになるわけじゃなし、いやカネになったとしたらもっとえげつないというか。共存共栄でみんな仲良くお手々繋いでってのもバカらしいが、相手をこれでもかって追い詰めるほどの芸事というか勝負事ってねぇ、ヘンな話、こういう努力教が日本人の狭量さなんじゃないかとも思っちゃう。まぁ結果に過度にこだわった時期は自分にも確かにあったのだが、それはさすがに大人の視点だと若かったというか幼かったという黒歴史になっている。
 あ゛〜、あと、このかるたもそうなんだけど、日本の武道でも団体戦ってのは元々個人戦な競技を強引に集団戦にしちゃってる無理があるからねぇ。たしかに個人戦をまとめちゃうことでチームワークを期待できるってのは今回の太一の描写にあったのだが、長所だけじゃなくて短所も生起しちゃうねぇ。団体戦にしなくちゃ同じ組織であっても自分以外は皆敵になっちゃうしで、でも今回の机くんのようなことにもなっちゃうしで。こういうシステムに内在する欠点なんだけど、さすがに作品ではシステム上の問題に踏み込むわけにもいかずでなんとも。