ラストエグザイル-銀翼のファム- 第17話

 ボレアス要塞って、要塞として機能してないだろ。
 まぁ以前から戦闘行為にリアリティが欠けていたんだけど、回が下るにしたがって艦隊戦に魅力がなくなってきてるな。クレヴァスが岩石で埋まるのは、皆殺し部隊が尖兵となって成功させたって予想できるのでまだ許せるにしても、途中現れたシルヴィウスが敵艦隊を撃退したってのはもはやシーンとしてはポカーンな感じだ。十字砲火ならぬ逆十字砲火ってなによ?。そりゃシルヴィウスは援軍なんで、通常なら多数の艦隊を連れているところを一艦で表現したってだけなんだろうケド。
 しかし、こういう描写をされると困るな。ストーリーラインを追うと、結局のところ「またサーラの操られっぷりにみんなが振り回されるのか」と腹立ちになるのが関の山だろう。が、この作品にふんだんにちりばめられた過去の歴史の焼き直しエピソード、また現代日本の縮図が込められているという点においては、もう疑う余地はないので、それに即して視聴するとグダグダになるのもわかる気がする。むしろわざとグダグダにしてるだろと思われるのだ。
 今回ミリアは見届け役に徹していたように思われるが、ファム、ヴァサント、サドリ、オーラン、ディアンなど、もう太平洋戦争時の帝国陸海軍のありかたにある程度似せていたのがよくわかる。もちろんサーラは天ちゃんね。終戦直前の日本って、もう誰もがこの戦争は負けだとわかっていたわけなんだけど、見栄のためこれ以上負けられないだとか、いやもうさっさと白旗を揚げろだとかいろんなものを各人抱えていたんだろうケド、恐ろしいのは破滅に近づく選択肢を補強していたのが、「お国のため」だの、「国体の護持」だのという当時のみんなが逆らえなかった“正論”なんだよね。それいっちゃうと誰も何もいえなくなっちゃう。で、当の本人がようやくポツダム宣言受諾を表明して事態は急速に終戦に向かうわけだ。この際天皇が本当に賢かろうと馬鹿だろうと関係ない。決定権をもつのは天皇の一声だけなので、それを利用しようとするものが居る限り、天皇自身が操られまいとしても都合よく使われてしまうのだ。開戦を決めたとしてもそれを議案として提出したのは軍部であり、やめるにやめられなくなっていた戦争をやめることを決めたとしてもそのような流れに持っていったのも軍部のある一派だし。で、周囲がごちゃごちゃ言ってゝも話はぜんぜんまとまらず、論理性や合理性があろうとなかろうと、事態の方向性を大きく決めるのは結局のところ、鶴の一声だという。
 で、天皇が操られている間はその下でもがき苦しむ現場がいるわけであり、彼らは正しかろうと間違っていようと天皇の決断に振り回され続けるのだ。そういう狂騒曲として今回を眺めてみると、「あぁ骨折り損のくたびれもうけ」とはこういうことを言うのだなとひしひしと迫るものはある。
 あ゛〜、やっぱりというか、どうもファムはサドリの孫っぽいね。どういう展開にするためにそういう設定にしたのかちょっと今のところは思いつかないな。