ラストエグザイル-銀翼のファム- 第7話

 テヾィに見習うハズがないと思うんだが。
 えーっと、何度も見返しちゃってひたすら感嘆するだけなんだが、なにから話したらよいかねェ?。えらい話に隙がなくて、そこがそこに繋がるのか!と驚くことしきり。シリーズ構成が吉村清子で、男性脚本も混じりながらも、女性脚本が多い感じだが、そのへんどうだろう?。この作品は後半話が失速するという噂を耳にしているので、なんとも怖いところではある。
 自分が気になったのはジゼルの表情のつけ方。あまりファムと喜ぶ場面が見られず、心配そうなのが多い。その原因を色々考えてみたのだが、よくわからんな。ファムの無鉄砲さにあきれているともとれるし、今回だと家に帰りたいように見える。あとファムとミリアの仲が良くなっていていることに嫉妬しているとも取れる。あの不安そうな顔は他のキャラには見られないので、なるほどコレが描きたかったのかと思ったりした。ファムは本当は男にしたかっただろうというのを以前書いたが、確かに主人公を男にしてしまうとこゝでヘンに恋心とか絡んできてやゝこしくなるんだろうなと。またミリアもよくよく考えてみればフツー男の王族であるべきなのを無理矢理?女にしているわけだ。ファムが男でミリアが女だと、ファムはミリアの望むミッションを遂げればミリアが報酬として得られることになりジゼルは蚊帳の外になる。で、ファムもミリアも男であれば、ジゼルは物語の内部に入ることができなくなる。まぁファムもミリアも見かけは女ではあるのだけれども、物語上の役割としては男として振舞っていると見るべきではあるわな。もちろんジゼルは見かけも社会的にも女として振舞っているわけなんだが。
 今回ジゼルが取り乱す場面があって、あの冷静なジゼルがこうなっちゃうのかと驚くと同時に、この作品ってそういう女の見苦しい側面も敢えて見せちゃうんだなと感心もした次第。で、ファムがそれをたしなめるわけなんだが、もしファムが正真正銘の女だとすると下手にジゼルに共感しちゃって二人して混乱するということにもなりかねない。そのへんファムにはちゃんと男としての役割を持たせているわけだ。いくら拾われ子といえどもファムにとってはアタモラはやはり父親と同然なのであり、ジゼルと共に取り乱したっていゝわけだ。まぁそのへん矛盾を孕みながらもうまくは作ってある。空賊と再度袂を分かつ場面も、多分このまゝ一緒に帰りたいであろうジゼルの意図をファムは知っていたと思うんだが、敢えてジゼルの想いに触れずに誘導を行っている。これはどう考えてもファムはごまかしてジゼルを思いのまゝにしているわけなんだが、これもこういう言い方をするしかないんだろうなと思わせる。多分空賊と共に帰るということを話題にした途端、ジゼルが興奮して収拾がつかなくなるというのをわかっているんだろう。まぁヘンに現実的というべきなんだろうが、この作品は主人公が冒険の末ご褒美としてお姫様を貰う物語でもなく、ご褒美のお姫様が自分を求めて理想の王子様がやってくるのを待つ物語でもない。いわば、ご褒美のお姫様を貰った王子様が二人一緒に輝くというおとぎ話なのであって、古来あったおとぎ話の後日譚、つまりいつまでも幸せに暮らしましたの部分を詳しく展開して見せてくれていると考えたほうが良いだろう。ある意味二次創作、二人がくっつくまでの元ネタがあるが故のアフターストーリーを描いた薄い本と構造的には同じと考えてよいのかな?。そりゃフツーの人は元ネタのほうを面白く感じるだろうよと思わざるを得ない。この作品の場合、その後日譚に冒険要素が散りばめられているだけに混乱するんだろう。
 さて、上記長くなってしまったが、もう1つ。この作品はトゥラン滅亡の第2話を除いてほゞすべての話に「食べる」描写が入っている。今回はレーションを喰うという簡易版ではあったが、料理を敢えて描写している。オモロイのはアデス首脳部が簡素な食事なのに、前話の貴族ロシャナクのは確かに豪奢なものだった。シルヴィウスは結構豪華だが、反面空賊の根拠地カルタッファルはポテパンなど簡素な食事になっている。ミリアが来たときには特別に肉が振舞われていたようだが、基本は貧しいという設定なのだろう。そもそも発音こそカルタッファルなのだが、Kartoffelとはドイツ語でジャガイモの意味であり、痩せた土地でも育つそれはそれはありがたい作物なのだ。まぁアデスは乱暴ながらも、そもそも食うに困っている国なのだよと示唆しているんだろう。キッチュが出てきたり、料理もかなり国際色豊かな感じなので結構楽しみにしてたりする。