猫神やおよろず 第12話

 しゃも達は帰ったのでは?。
 なんか知らんがすべてなかったことに。地上の世界で満足している繭へのオファーをするために強引にお見合いという場を設定したということらしい。しかしアレでは繭に人望(神望)があることが確認され、より求められる結果になったのじゃないかと思うんだが。
 うーん、なんだろうな?。言い続けている通り、この作品ってのはありうべき仕事観ってのを述べていると思うんだが、なんかヘンな感じがしないでもない。自分が物心ついたころから仕事は実力主義だの成果主義だのというのを耳にしてきたわけなんだけど、よく考えてみれば単発の作業能力が高くて、他人を犠牲にしてもカネ儲けの才能があればのしあがるというのがはびこるにつれて世の中ギスギスする度合いが強くなっていると思うんだよな。作業効率が上がればそれがまわりまわって世の中のすべての人が得をするという言説なんだけど、事実は逆になっているんだわ。実際は富は偏在するようになり、弾き飛ばされた人間が塗炭の苦しみを味わうという。
 で、ある意味繭は理想の上司および経営層として提示されているんだが、彼女は決してカネに執着してそのために邁進するって描かれ方をされてない。困っている人がいれば手を差し伸べ、自分の虚栄心を満足させることに執着していないし、何事に対してもゆったり構えているワケだ。ぐうたらしていると他者には認識されているんだけど、じゃぁ彼女が必死になる場面がないかといえばそんなことはない。まぁ韜晦なんだろうけど、彼女自身が身の程を知っているというか。現代の政財界なんて庶民に身の程を知れとか言って庶民が持つべきものをすべて取り上げ、身の程知らずに富を蓄積しているのとは対極的だ。繭がなぜ人望を勝ち得ているのか、特に私心がなくても能力だけの天音との対比がわかりやすいと思うのだが、そこらへん何が必要なのかをするっと提示しているような気がするのだが。
 っつーわけで、この作品は自分の中でかなり評価できるものになってしまった。たぶん続編が作られないような終わり方だったと思うのでなんとなく残念な気持ちなのだが、ネタ作りも難しそうな気がしないでもない。萌えアニメの体裁を取っていながら、萌え描写がほとんど無いのにビックリ。それでも大人がこれ目当てゞ視聴するものでもないわな…と思いつゝ、じゃぁ子供がこの作品を見ているその後ろで大人も子供とは違う視点で見る作品かな?と思い、それも違うと一度は思ったのだが、そういや天才バカボンなんてナンセンス漫画(アニメ)を自分も小学生の頃見てたよな…というのを思い出した。が、いわゆるお子ちゃま向けアニメだと、やれわかりやすい敵だとか目的だとかお笑いというのがあるわけで、こういうゆるアニメだと、やはり子供にはおもしろさを提示しきれないんだろうと思い至り、深夜アニメたる理由に行き着いてしまう。切り口がおもしろくとも所詮ニッチなんだろうなと思い知らされる。でもまぁこの深夜アニメが存在を許される多様な社会だからこそ自分がこの作品にめぐり合えたんだろうなと思うと、そうそう悪いことでもないんだろう。
 っつーわけで、かわいげなキャラにちょっといゝエピソードを織り交ぜて作ったテキトーな作品ではなく、結構芯が通った作品だったな。結構お気に入りになってしまった。なんか原作もこうなのかどうか気にはなってしまう。最初の頃はさもありなんとも思ったのだが、終わってみればチャンピオンREDいちごの作品とはとても思えなかった。名作評価をつけてみたいのだが、さすがにそこまで他の作品より突き抜けているとも思われず、個人的お気に入りの域を出ないんだろうなと自粛せざるを得ないおもろ+ということで。