夏目が反省してしまうのか…。
うーん、最后に泣かされるとは。人間の友人とは旅行の相談で、妖怪の友人とは宴会のはずなのにな。
しかし、よく考えてみればよくできているというか、子供の遊びをなぜ大人ができなくなってしまうのかを考えさせる構成ってのがね。結局妖怪と夏目はその子供の遊びである影踏み鬼をやってしまうんだが、確かにある一定の年齢以上になるとそういう遊びをやんなくなるな。まぁ子供ができたら、それはそれでまたやることができる機会が与えられるんだが、大人になったもの同士でやるはずもない。
で、未成年である夏目に酒を呑ますわけにもいかず、で、影踏み鬼をやることが夏目の過去のわだかまりの解消になるという構造がもうね。妖怪たちがしかたなくつきあってやっているってのでもなくて、好奇心から試しにやってみるってのがまたうまくできてるんだわ。妖怪が夏目を弱いと言い、また夏目も自分が弱いと自覚するのもな。そりゃ能力云々からいうと妖怪のほうが強いんだけれども、誰も彼もが夏目に助けられており、妖怪たちは本当に夏目を弱いとは思ってもいないだろう。構造的に見れば妖怪が自分たちを強いと言い夏目を弱いと言うのはツンデレなのだが、じゃぁ仮に素直に夏目に感謝したところで夏目がどう思うか?ってのを考えると、やっぱあぁいう言い方には納得させられる。片務的な関係じゃないんだよな。
最后宴会場を後にする夏目の姿を見て、夏目は人間を選ぶのか妖怪を選ぶのかという単純な構図を思い描いていたんだけど、そういうのは浅はかだと思い直した。言い過ぎかもしれないが、妖怪達も夏目もいゝ意味での大人なんだろうなと思わせる。丁度「腹の読めないおじさん」から「のっぺりしたリーダー」へ - 内田樹の研究室というエントリーを目にする機会があったが、この作品に登場する「大人」ってのがめっきり減っているような気はするな。
うーん、総評なのだが、なんだかめんどくさい。もうこれが優れた作品であるってことは視聴すりゃわかるだろってなもんで、三百代言尽くす必要性を感じない。今回第1期第2期の両方を再度見直すことをしてみたが、クォリティが上がっているのを確認できたのは収穫だった。どうせ次の第4期も視聴するのはまず間違いないし、そういう自分の態度をみて判断してくれで済むんじゃないかと思っている。
しかし評価は難しいな。大分泣かせて貰ったし、一般性もあり、萌え要素は極力排除されていて、名作評価をつけたいぐらいなのだ。が、事態の推移が御都合主義的といえば言い過ぎなんだが、センチメンタリズム的なところがあって、必ずしも万人にお勧めできるとも言い難い。が、アニメ好きじゃない人にも感性があうようであれば積極的に推薦できるものだとは言える。あとシリーズものだから単体での評価ってのがなかなかつけにくいってのはある。甘めにつけると間違い無く名作なのだが、大事を取っておもろ+に留めてしまう自分の弱さよ…。