Steins;Gate 第15話

 まゆしーの気立てのよさに、彼女を救わねばと思いを深くするの巻。
 いやぁ、鈴羽の父親ってダルなんじゃね?と思った次第。タイムマシンの構造が電話レンジ(仮)と同じだとか、髪の色が同じだとか、バッヂのOSHMの部分が岡部椎名橋田牧瀬の頭文字になっている*1とか。それと知らずに親しげに会話し、周囲に雰囲気が良いとか言われてるだの、これをフラグと言っていゝのか迷うが、そういうほのめかしのような気がする。
 うーん、過去改変の矛盾については、なんかもう正しいのかどうかチェックするよりドラマにのめりこんでしまっている割合が多くて結構スルーしている状態。鈴羽が紅莉栖を嫌う理由が明らかになり、改変のおかげでお互いを知る&協力する形は美しいな。
 管理社会になってしまった未来から、自由を取り戻すために過去にタイムトラベルってのはなんかどっかで見たような気がするなぁ。どの作品だったか題名を思い出せないんだけど。で、結局事態を変えるためには過去に遡ってやり直すしかないというのが面白い主張だ。
 今、グローバリズムに乗り遅れるな、それは不可逆な流れだとか言っているが、なんか眉唾のように思えて仕方がないんだよ。自分自身はそれほど自由貿易そのものに対してはそれほど反感を持っていないんだが、いろいろ歴史を振り返ってみると欧米が自分の利益のために自由貿易という名目を利用して世界中から搾取しつづけてきたという構造しか見当たらない。もちろん迫り来る欧米の脅威から守るために日本をはじめ各国はそれなりの対策をしなければならないとは思うんだが、基本強盗がいなけりゃ強盗対策も必要ないわけで、泥棒ぐらいならまだしも、余計なコストであることには間違いがない。
 で、日本を考えてみるといつまで遡ればオッケーなのか?と振りかえってみた時に、まづ、自民党政権時代は論外で、じゃぁ敗戦前の軍部独裁時代も話にならない。かといって江戸時代まで遡れば、国民自体は海外のエゴに振り回されてはいなかったが、あのまゝ発展性のない国体だと、欧米の餌食になるだけで、たしかに明治の元勲たちがあれじゃぁいけない、なんとか国のあり方を変えねばと思ったのも今だから言える事ではあるが正しい気がする。となると明治大正あたりが日本が立ちかえって国のあり方を再考する適期なんだろうなという感じはする。もちろんその時代が良かったという話ではなく、その時代に取った手法に何か間違いがあったからこそゝの後の暴走があったわけで、あの時代に戻しつゝも最善の方法を見つけるべきなんだろう。
 というふうに、この作品の流れも、「どこまで遡ってやり直せばよいのか」を試行錯誤しているわけだ。鈴羽がまづ2010年の世界まで遡り、それでもダメっぽいから1975年までってのはそういう構造なんだろう。2010年の時点ではダメってのが、まゆしーが殺されてしまうからってのが示される事件としては瑣末に見えてしまうのだが、1975年まで遡るのが適当かどうかは別として、自分にはこの2010年ではダメだという理由が妙に納得できるような気がしてしまった。で、繰り返しになるが、この作品では実際に時間を遡ってやり直しているが、作品の主張としては別に本当に時間自体を逆戻りさせなきゃならないってことを言っているわけではなさそうだ。今からでもやり直しはできるだの、後になって後悔しないよう現時点での最善を尽くせだのという要素は多分に含まれていると思う。今、目先のことに囚われ過ぎていて、あまりに大切なことをたくさん見過ごしてしまっている状況ってのはあるんじゃないかと思うのだ。

*1:***は萌郁フェイリスるかで最後のAが阿万音というラボメムをあらわしている。