猫神やおよろず 第2話

 貧乏神、唐突にレギュラー化。
 ん〜、何が言いたかったのかね?。産廃業者の元社長の登場は社会的要素ではあるんだろうけど、別に社会問題とかそんなのじゃなさそうだしな。壷が来て、壷を捨てゝ、遠来からの客が来て送り間違いだということで、捨てた壷を見つけて、客のミッションが達成されてオッケーという流れを見ると、大したことを言っているようにも思えないしな。で、主人公がいなければ諦めていたなんて要素が絡んでいたが、例えば客の芳乃が新入社員のメタファーだとして、彼女の失敗を他部署の古株が(うっかりもあるものゝ、実は芳乃の失敗に関して繭には責任がない)叱りもせず一緒に解決してやるという構造にはなっている。あ、そう考えるとそれほど中身の無いものでもないんだなとは思うが、あまりにも中身が薄い。
 いや、チャンピオンREDいちごの連載に深みなんて求めるほうがおかしいのか?。というか、上記の構造を考えるとこの作品ってのは初めっからヌルさがウリであって、このゝんびり感がいゝのだとはいえる。今回の話で言えば、万物に神は宿るという八百万の神のあり方からすると、桜自体が人格化していてもよさそうなもんだが、あくまで桜は客体化しており、視聴者から見れば桜が咲こうと咲くまいと大した問題ではないという認識になる。桜が擬人化されでもしていたら、桜がゝわいそうだの、桜の境遇に思いを至らせて何とかしなきゃといった話にも出来たハズ。が、あくまで桜に関して言えば、主体は芳乃やその祖父であり、彼らは桜と一体化した存在ではない。要するにこれは繭とその仲間たちの内輪話であり、やはりヌルい馴れ合いを楽しむ中で、何か一つ二つ教訓めいたものが埋め込まれゝばオッケーっていう構造なんだろう。
 猫神が記憶を司るなんて設定にはビックリした。そういう由来がどっかにでもあるんだろうか?。そういう設定は割と立ち位置が夏目友人帳の主役と似通っている*1んで、あぁなるほど、もしかすると繭が肩の力の抜けたキャラとしてのトラブルシューターものと考えると、あながち構造は一緒といってもおかしくないのかもと思ってみたり。

*1:社会から忘れられた存在としての弱者に目を向け、居場所の確保に奔走するなんてとこがね…。