Aチャンネル 第5話

 なんの変哲もない水着回
 ん〜、よく考えてみなくてもこれほど水着回が違和感なく受け入れられる作品ってのは珍しいな。それにしてもなんだろう?、視聴して感じるこのもやもやは。昔ARIAが放映された頃、「遊ぶな仕事しろ」みたいな論説が多くて自分的には理解できなかったんだが、たぶんあのときARIAを見てイライラしていた人たちと同じ感情を今自分が抱いているのではないかと思うのだ。こりゃこの作品の主人公たちのほうが高校生であるということから、別にのんびり遊んでいても構いはしないのだが、なんというかね。いや、仮に卒業後のキャラクター達が描かれるとして、フツーに働く描写がなされるとおもうんだけど、それでもこいつら何の悩みもなく過ごしていくんかなという気がして、それでいいのか?みたいな疑問が湧く。自分はこいつらに嫉妬してるんかな?。
 結局のところ、アニメだとか問題提起ってものがあるのが普通だと思い込んでいるので、こういったダラダラしたのを受け入れられないんだろうか?。ARIAなんかはのんびりしているといっても仕事の一貫で、あの当時(今でもそうなんだろうけど)先輩からほったらかしにされているのに成果ばかり期待される新入社員への応援歌的要素を見出していたんだけどな。自分が新人(見習い)の頃、空き時間に営業所長的立場の人によく外に連れ出してもらったりした経験があって、その中で昔話(説教の範疇なんだろうけど)とかいろいろ教えて貰ったような記憶がある。そういうのを思い出して「あぁ、昔は結構先輩に面倒を見てもらってたし、結構大目に見てもらってたよな」とARIAを肯定する気になれるのだ。が、この作品って現実の社会問題をバッサリ切り落としちゃってゝ、ひたすら幸せな描写を繰返していて、そこらへんたゞのセンチメンタリズムのように思ってしまってもどかしい。
 日常の見過ごしがちな、いや些細なことにも楽しみを見つけられるよって主張は確かに共感する部分もあるんだけど、社会人だとそういう余裕がなくなってくるんかね?。庶民がいろいろな問題から目を逸らして小さな幸せ探しをしたところで、クソな政治が良くなるわけでも、利権構造が改善するわけでも、悪化している職場環境が少しでも過ごしやすくなるわけでもないんだよな。今ドキちょっとした見通しのつく中高生でも昨今の就職環境がよくないってことはわかっているんだろうけど、彼らにしたってわざわざこの作品を視聴して癒されたりするんだろうか?。自分は原作を読んではいないんだけど、4コマ誌で静かなブームといった程度で十分であって、わざわざアニメにしなくても良かったのでは?と思ってみたり。
 なんか見切ったほうがいゝのかなとも思いつゝ、見切る勇気もまだもてない中途半端なところ。まぁどうせなら最期まで看取ってあらためて感じることもあるだろうとは思っているので、そうそう切るつもりもないのだが。