星空へ架かる橋 第2話

 中津川、よくカネが続くなぁ。
 うーん、なんか贔屓入っちゃってダメだなぁ。物語が始まる前から涙腺が緩んじゃっていて、見せ場になると予定通り泣いちゃうといった感じだ。こんな状態ではまともな感想になるとも思えない。
 自分が雑破業作品ということで思い浮かぶのが、ちょこシスマイユア恋姫†無双なんだが、中でもマイユアあたりは今でも思い出したりする。大体のアニメが消費されていくなか、自分にとっては雑破業脚本作品ってのはなにかしら心に残るものがあるらしくって、それがなんなのかは一言ではあらわせないものがある。
 この作品がエロゲギャルゲ原作であり、じゃぁ原作の持つ魅力が自分を虜にしているのか、それともやはり雑破業作品であるという自分の色眼鏡によるものなのかはわからん。紙芝居ゲームというのは、この作品の舞台をみるにつけ実用用途って意味からはかなり人目を引きにくいものであるからこそ、テキストで飽きられてしまうと売れなくなるワケだ。原作自体にプレーヤーをひきつける要素があるからこそアニメになるほどなんじゃなかろうかとは思ってみる。
 で、ちょこシスマイユアなんかを振り返ると、あまり世の中の理不尽や不条理の原因が政治や社会体制にあるって構造でとらえるのではなく、あくまで雑破業は人々の中にある自浄作用や共感作用をクローズアップしてみせる傾向があるように思う。恋姫†無双も、世が乱れる原因は政治にあるといゝながら、為政者には人間味があるところを見せていた。自分なんかは人を活かすのは人ではあるんだろうけども、人を苦しめるのもまた人であり、それを克服してこその世界であり社会であり、また物語はそういうのを訴えかけるべきなんでねぇの?という気がしているので、雑破業の暗部を描かないわけではないけど抑制する態度にはちょっと物足りない気がしないでもない。が、エンターテインメントとして暗部よりは希望をより多く描き、物語が終了した時に、「あぁ、読んで(見て)良かった」と気分良くなって欲しいというところはそうなんだろうなと思う。いや、なかなかにして難しい。
 さて、この作品だが、何ゆえ田舎なのか、キャラ達が中高生なのはまぁそうだとして、都会ではないが地方都市ですらなく、より寂れているところが舞台だ。コンビニが24時間営業でないのだが、商店街はまだまだ健在だ。どうやら飛騨高山がモデルらしいのだが、観光地じゃん。まぁそれはいゝとして。
 田舎といえば娯楽が少なく、人間関係が固定していてなかなかにして退屈してゝもよさそうなんだが、やけに楽しそうだな。転校生として主人公がものめずらしそうに扱われるのはそうだが、ホントエロゲギャルゲらしく、年頃の娘っコが寄ってくるのがなんだかなぁではある。というか、こういう展開飽きずによく使われるよな。これもやっぱり理想的な人間関係のモデルとして描かれているんだろう。
 で、こういう複数女性攻略ゲームの主人公といったら、プレーヤーである男だったりするんだが、いや、むしろこういうアニメの場合、プレーヤーの目を通して語られるヒロインたちの物語が主になってしまうわけで、むしろ主人公はヒロインといったところ。今回は中津川初の当番回で彼女の紹介が主だったんだけど、主人公は日向伊吹のように感じた。OP動画でもなにか訳アリな表情をしてたし、つっかゝり様がある種の構ってチャンなのかなと思わなくもない。前日主人公と鉢合わせしたのも、嫌なことがあって展望台にいってたとかそんなんだろ。
 しかし、星野兄の歩幅の説明をやっちゃうんだな。前回の描写だけで事足りてたようなきがするが。というか、この件で重要なのは、星野兄がそれだけの気の遣える人間でありながら、弟を気遣うのに女には気遣わないってとこ。転校当初なら本当なら周囲との人間関係の構築に気を遣わねばならないのに、それより弟の優先順位がはるかに高いってことだろう。かといって彼が周囲を見ていないってわけでもなく、でもまだまだ物語的には無色なポジションにいる。展望台の説明を受けた主人公の初を見る目からすると、初ルートなんだろうなと思いつゝ、幼少時の因縁である円佳はどうすんだ?と思いながらも、あまり誰ルートとかを意識せずに視聴したほうが楽しめるんだろうケドなぁ。
 個人的にはもうちょっと寂れた田舎にいかにもありそうな社会問題を取り上げて欲しいところ。ノスタルジーもいゝんだけどな。せめて元に戻せることならいゝんだけど、もうちょっと前に進んで欲しいというか。
 あ、弟@あゆたで、久しぶりに声を聞いたよ。なんつーか華のある少年声だな。