GOSICK 第8話

 寿限無はねぇだろ。
 やっぱ面白さを言語化しにくいな。自分なんかは前回どういうヒキだったか忘れていて、開始早々「あ、そうだ、森で人が死んだんだっけ」なんて暢気に構えていた。で、そもそもこの村への訪問はヴィクトリカの母の冤罪を晴らす目的があったんだよなと後から気付く始末。大切なのは「今を生きる」ことであって、いやいやその割にはヴィクトリカは自分の母、つまり過去に拘泥してたよなとかツッコみは入れられる。ヴィクトリカと久城の絆も喧嘩の原因がどうでもいゝだけに、なんか空回りというか感動シーンに仕立て上げるにはやりすぎの感が無いでもない。
 セイルーン王国って設定なんだが、どっかで聞いたことがあるなと思ったら、スレイヤーズに出てきた名前だよ。まぁどうでもいゝが。ホロヴィッツという名で、ユダヤを連想させたが、祭りとかに表現されている村の風俗を見るとユダヤとは関係がないように思われた。なんかフツーにヨーロッパが部族社会であった頃の風習をそのまゝ受け継いできたところのように思われる。
 ソヴュール内にありながら、王国を標榜して国家権力の介入を拒絶する様は、なんとなく昔の日本を思い起こさせる。今回のエピソードのイメージは、どうも八つ墓村だのといった、因習に縛られるドラマと似たようなものをもっていたように思う。今では考えられないことなのだが、日本でも昭和の初期までは交通の途絶した地というのがあって、そもそもそういうところでは国家権力の影響が及ぼうはずもない。なにせ他との交流が無いのだから、自治をするしかない。日本に属するのだから日本の法律に従えと言われても、そもそも国家から何の利益も受けていないのだから、国家に従う道理が無い。たぶん昔はそういうところでは税金も払っていなかったところがあったであろうが、いやその税金によって受ける恩恵がないのだから、自治でオッケーということになる。そして、この物語はまさに昭和初期というか大正末期なわけだろ。イタリアなんかはまだ統一される前の記憶が生々しく残っている頃なわけで、都市がすなわち国家ってのはまだリアリティを持ちうる時代だろう。まぁ自分がそういうところを生活根拠地とするのはすごく危険な香りがするが、でも日本や世界にそういう土地がいっぱいある時代のほうがワクワクする。で、旅行でそういうところを訪れてみたいなとは思うのだ。世界中どこに行ってもマクドナルドやコンビニのある風景ってのは萎えるよ。