オオカミさんと七人の仲間たち 第9話

 せっかくの水着回が一人桃ちゃん先輩に負けている件について。
 白雪の七つ児の兄弟ってどーなの?。白雪が追い出される前の子供たちなんだろうか?。そもそも女に有利な離婚協定で、白雪母もしくは白雪自身がそれなりの養育費を貰っていてもおかしくなさそうなんだが。
 いや、あれだよ、意識して視聴する回を調節しているわけでもないんだが、森野は涼子との橋渡しをして貰ったお礼に、林檎に協力する*1って申し出はやっぱ若者宿・娘宿の役割に似ているな。海村生活の研究あたりだと、若者の成長度合いは次のように考えられていたらしい。漁に手伝いに出るのがだいたい13歳からで、そのときは一人前の三分の一を貰っていたらしい。14歳だと二分の一、15歳でようやく一人前の分け前を貰うというもの。で、それが一応働き手として一人前と見なされる基準だったらしい。で、その歳になると親元を離れて若者宿・娘宿に入っていくわけなんだが、昔だったら年齢は数えであったろうから、高校一年生だと誰もが15、16ということになる。そして御伽銀行はそれらの歳の少年少女の集まりであり、彼ら自身で自主的に組織を運用している=自治…わけであり、かつ寮生活=若者宿・娘宿…をしているものも多いワケだ。さすが昔話をモチーフにしているだけあって、そういう部分の考察もしているのかなと感心してしまう。
 いや、なんていうのかな、今の高校生っていうのか、大学生から新入社員辺りまでやたら依存心が強いというか、こういう御伽銀行のような自治とはかけ離れており、むしろ学校だの企業だのを自分の消費スタイルにあわせて供給を行うべきサーヴィス機関だと思っているのが多い風潮になってしまっている。いや、もちろん全員がそうなっているわけじゃなくって、中学生から企業を運営するというのもいて、自立心の旺盛なのもいるんだけど、基本は社会的資産の受益者という立場で物事を考えているものが多いだろう。というか、もうクレーマーだのモンペだのが問題化していたのが'90年代であり、そのころに40歳ぐらいだった連中が既に社会は自分たちが運営するべきものではなく、自分の受益のために他人が奉仕すべきものと考えていた人間が多かったということになるわけで、そりゃなんだよ、団塊の世代と奇妙に一致する。あのとき40代だった団塊が、じゃぁ歳を重ねることによって社会の担い手として成熟したか?と言われると、まさに空き菅を見るとわかるように、現場の邪魔にしかならないのにやたら態度がデカイという醜態を晒しているワケだ。逆にいうと、今の若者はお客様意識は強固かもしれないが、おとなしいだけ団塊の世代よりマシなのかもしれない。林檎が嬌態を示して鼻の下を伸ばした学園長の有様を見ると、わかってないのは団塊の世代だけで、実はまともな人間はどの世代であってもそういう構造を見透かしちゃってるというふうに見ることもできる。林檎や白雪の父にしたって、あの歳の娘が居るワケだから、だいたい50ぐらいだろ。奥が若くて30代後半から40代ってトコか?。凡そ自治精神の有り無しで日本をダメにした世代というのが浮き彫りになるってとこが面白い。
 自分の存在が人を不幸にしたのかもと思い悩み続けていた林檎と、そういう林檎の心情をどうやら元から斟酌していた白雪が、やはり同じ世代の若者の助けをきっかけとして和解するってのは、構造的に見て親の世代の身勝手な行動に苦しめられ、そして親世代の尻拭いをさせられているというふうに還元される。奨学金だかの解決にせよ、林檎がリスクを取るというか、自分の持てるものを投げ出しているという美談にしているわけなんだが、元々はアレ、林檎・白雪の父が負担すべきもの*2。物語では描写されてないが、結局は父は自分の罪を自覚もしていないだろうし、自分の不始末を償うという発想すらないのだろう。離婚の時に既に金持ちという感じだったが、きっと元から与えられていたものだろうから、自分が獲得したものではなく持っていた財力・権力が自分の実力に依拠していないという考えすらないだろう。そのノータリンさが人を傷つけ、周囲を混乱させる。この回の結末が、決して林檎が犠牲になって丸く治めたという形になっておらず、あくまで上の世代に対する抗議であり、周囲に対しては配慮という形になっていることで、センチメンタリズムだの、形だけの正論だの単なるお涙頂戴になっていないのには、そういう意図が込められているのだと感じた。
 ん、長いな。

*1:林檎の、恋愛ではないが、林檎自身の事情解決のお礼に、林檎が涼子×森野のカップル成立に心を砕くという結論もまた同じような構造になっている。

*2:奨学金だから、きっと貸与であり、結局若者世代が負担しているという構造になっている。