大正野球娘。 第12話

 すげぇ、ちゃんとストーリーの処理をほとんどやっちゃうんだ。
 昨日言及した三人も、担当回というほどではないにせよ、ちゃんとクローズアップされていて妙に感心した。晶子の野球をやるきっかけとなった岩崎との和解、揺れる魔球についての晶子と小梅の信頼関係、乃枝の知恵、雪がなんで野球をやるのに積極的だったか、雪と環の信頼関係、巴のホームランにおける、乃枝とのやりとりといつも拗ねていた静の支え、胡蝶の俊足、鏡子のフライキャッチ、今までの課題が全部回収されている。
 話運びはオーソドックスで、雪の負傷、「そりゃ試合放棄を拒否するのは雪自身の台詞しかない」などの予測のつく場面が多かったものゝ、勢いがあって王道を外す理由のほうが見当たらない。最後三郎との対話もそうだし、ご褒美にセーラー服を買って貰ったんだなという父との和解?も微笑ましかった。
 さて、以降は総論になるが、長くなりそうだ。
 まず、戦前期の野球のスキルがどういうものだったのかはよくわかんないのだが、今目にするものに近いんだろうなという気がした。初心者がどう間違うのかとか、上達するにつれどう変化するのかとか。で、当時の野球でもそうだったのかはよくわかんないのだが、やれベースカヴァーとかなどの描写がいちいち細かくて、人間ドラマだけだったら必要がないだけに、ディテールの細かさに感心していた。反面、昔の生活とはという部分は後半になるにつれ、どうでもよくなってきたかな。プレイ画面とか、小説ではどう表現されているんだろって部分も多かった。
 作品全体のテーマなんだが、これはよくわかんなかった。男女の役割うんたらに至っては、当事者同士の問題から大きく離れる事はなかった。野球自体の楽しさを語りたいのかなとも思っていたんだけど、野球を通じてもたらされる何かに重点が置かれていたように思う。野球自体に魅力を感じていたのはどうやら雪と環ぐらいであって、それも最終回に明かされるまでわかんなかった。
 晶子たちが野球をやるきっかけとなった男性優位主義に対する反抗、もしくは最終回の合唱部のありかたから、被抑圧層の自我の獲得とか考えていたんだけど、強者側に理不尽がほとんどなく、あんまりそういう社会階層の問題があからさまになっていたとも思えない。仮に強引にそう考えるとしても、戦前期は弱者も純粋に努力していたし、強者も正々堂々していたんだよ、反して現代は弱者は卑屈になってやられるまゝだが、強者は理屈も道理も捻じ曲げて弱者を抑圧する世の中なんだよってことを逆説的に述べているのかもしんない。ま、昔はよかったの変種というか。
 人間ドラマとしても、さすが野球の基本はキャッチボールなだけあって、気持ちと気持ちが真っ直ぐに向き合うことの美しさは十分感じられた。そりゃ現代ではこうも真っ直ぐでいられないよという向きもあろうが、いやいや、こういうのは心がけ次第で今でもできるし、大切なことなんだよと思えてしまう。実現可能なキレイ事なんだよな。
 っつーわけで、視聴するまでは結構抵抗があるんだけど、視聴してしまうと途端にのめり込むという作品でしたわ。そしてその勢いが半端でない。前半は心がけも野球のスキルもヌルイんだけど、それでもあ゛〜ぁと思わせることもなく、後半はドラマとしてのテンポもよかった。説教臭くないエンターテインメントとして秀逸だったよ。
 評価はおもろ+なんだけど、自分的にはもっと価値が高いと思っている。だからといって一般人に勧められる名作評価まではちょっと足りないかなと。うまい監督だったら、実写でも十分多くのターゲット層に訴求力のあるものに仕立てあげられるのだろうけど、たぶんアニメのほうが合っている作品なんだろうと思う。音楽は不可のないものかな。これでもキレイにまとまっているんだけど、小説では続編があるらしいので、見てみたい気はする。コレ、確かに面白かった。