とある科学の超電磁砲 第12話

 そして特権階級の犯罪は隠蔽される。
 ま、これ以上クローズアップすると抑圧されるしな。しかし、ネットワークを通じて発生した胎児は、なんつーか、某巨大掲示板に見られる、幼稚な書き込みの発露だわな。解決法がネットワークの破壊、すなわち現実的な対処法としてのプロバイダ規制ってのが容易に想像できるし。AIMバーストのバーストって、要するに炎上だろ。前回視聴したときの感想からすると、読み込めていなかったよなと反省。というか、わからんだろ。もし某巨大掲示板なり、インターネットが今回のモチーフになっているのだとすれば、レヴェルアッパーは、日常はおとなしくしているしかないマイノリティが、ネットという手段を手に入れてネット弁慶になったりする実情を考えてみれば、そういうのを実現可能にするもの、すなわちネットワーク上のコミュニティとかそんなのを想定しているのかな。音楽ってのにとらわれすぎてもいけんよな。
 さて、展開としてはいろいろ端折っていて、どうも雑な感じを受けはするのだが、ここは勢いを重視せねばならず、また、細かく説明して文句をつけられるわけにもいけないわけで、そこらへんわかる人はいろいろ補ってメッセージを受け取ってくれというスタンスなんだろう。なぜかワクチンプログラムが末端の下っ端現場指揮官の責任で学園都市内全域に放送許可されるとか、なんか杜撰すぎじゃね?と思うわけなんだが、物語的にはあゝいう処理で済まさないと、胎児退治に繋げられないわけで、気にしてもしょうがないところ。
 木山が最後捕まっていたわけなんだが、この後どう処理されるんだろう?。教え子の件についてはいちおうビリビリと初春には伝わっているわけだが、学園都市の監視機構はそもそも木山の意図に気がついているのかどうかわかんないわな。ツリーダイヤグラムの使用許可ってところから、察知されていてもおかしくないわけなんだが。どうやら教え子は昏睡状態にあるらしいので、使用許可が却下されるってことは、目を覚まされて騒がれると困るって上の判断があると見るべきだろ。というか、木山が使用許可目的を正直に伝えているかどうかにもよるがな。
 で、ビリビリ達は木山の教え子救助に同情しながらも、巨悪についてはスルーって態度だろ。というか意識していないってのが正しい見方かな。第5話にて、黒子が学校に設置されている監視カメラが少ないってこぼしていたから、学園都市の異常な監視体制に疑問すら抱かず、むしろ進んで協力しているって状態になってる。客観的に見れば、抑圧されている対象が、よろこんで自分を抑圧していて、そのこと自体に自覚していないって構造になっている。ま、中坊だから仕方が無いといえばそれまでなんだが。で、能力ってのがそもそも人を幸せにするものなのか不幸せにするものなのかといった、何をもたらすのかについては疑問を抱かず、自分の存在価値を高めるための政治的ツール*1になっていることに今まで気がついていなかったという形をとっている。
 もし、木山の陰謀が誰にも邪魔されなかったらどうなっていたのか?を考えると面白い。レヴェルアッパーを使用した人間たちをノードとする、圧倒的な演算能力を持つネットワークコンピュータが実現し、教え子救助に直接役に立ったかどうかは別にしろ、木山自身が今後の行動を決めるための何らかの指針にはなったと思うのだ。運がよければ救助できていたかもしれない。ワクチンプログラムで患者たちの意識が戻ったわけだから、木山のいう通りひっそりとした伝説で終わっていただろう。そもそもレヴェルアッパーの使用も、使用した当人たちが切望したわけで、木山が強制したわけではない。後遺症もないってことだから(今のところ)、世間をちょっとお騒がせしたって程度だろ。患者たちは本来使えなかった能力が使えてハッピー、でも倒れてちょっと一時不便にはなりましたってだけで。
 それをビリビリ達が邪魔をしたわけで、余計なお世話ってとこだわな。ビリビリは木山の過去に触れながらも、巨悪に対する怒りも持たず、自分たちが存在している社会や世界について捉えなおすこともしなかったような演出だった。あくまで自分の周囲にのみ関心があり、全体の構造を見つめるという態度ではない。これを後半にて彼女たちにつきつける展開になるのだろうか?。

*1:無能力者たちへの抑圧ツール