戦場のヴァルキュリア 第26話

 日本が破壊され、人々が構造改革の犠牲になっても、残された命とともに失われた人々の思いも繋がっていく。
 というわけで、最終回も戦場の恋愛モノらしく、どっかで見たようなフォーマットに従って進行しておりました。で、それが悪いのかというと、まぁこんなもんじゃね?といった感じで、泣きながら視聴しておりました。いやいや、展開が見えても情に流されてしまいますなぁ。
 チューでアリシアの暴走が止まるってのも定番と言えば定番だが、むしろアリシアが自分の力を制御できなかったってとこに注目したい。結局セルベリアと同じで、愛する人に受け入れてもらえないって絶望がかゝる状況に陥らせたんだよなと思った次第。っつーか、残ったヴァルキュリア人がアリシアただ一人ってのがなんかご都合主義というか、別に要らない設定じゃね?とか思ってしまった。
 再度、というか、この作品の初期には甘ったるい戦場設定に苦笑せざるを得なかったんだけど、終わってみればそんなことが気にならないほどフツーの出来でした。敵としてのマクシミリアンが徹底的に悪役で、少しはセルベリアとの悲恋だとか、民を慮るところを見せてくれるのかと思ったら、全然そうではなかった。そういう意味では誠にゲーム的というか、マクシミリアンを好敵手として物語に深みを与えてくれるものではないわな。
 で、この作品の主目的はやっぱり自民党政権へのプロテストだったんだろうなという気がする。属国発言やマクシミリアンには存在価値が無いのに他人を見下すという発言などからもそれは容易に推測される。ダモンに見られるように、見栄っ張りなくせに無能な官僚上層部、有能だが力を封じられている前線指揮官達、民族対立を煽られて兵士同士がいがみあう構造、それらの齟齬を第7小隊が少しずつ解きほぐしながら、しかし強大な権力に翻弄されつつもなんとか現場同士の信頼で暴走を食い止めるってのがね。ヴァルキュリアの強大な力なんて、素で考えたら陳腐そのものだわな。
 まぁそんなわけで、ちょっとばかし物語の面白さってことを考えたら、どうにももう一声欲しいところ。ただ、自分的には戦場モノのフォーマットに従いながらもメリハリのつけ方はなかなかにしてうまかったと思うし、だからこそ後半部分はのせられているとわかっていても燃えた。細かい描写を気にせず、この戦場は現代の社会そのものって念頭に置きながら、作品の進行に逆らわなければ楽しめる作品だと思った。井上麻里奈の好演もあって贔屓目におもろ+ってところで。