アタックNo.1 第101話 くずれゆく日本チーム

 湯島って、ナショナルチームのトッププレーヤーだったんだな。
 大学生だから、ただのレギュラーじゃないかと思っていたんだが。で、サブタイを見て、日本女子が対ソ連戦で苦戦するのかと思ったら日本男子の試合だった。
 魔球にこだわるというか、新聞記者の誘導でそう思い込んだこずえに、湯島はともかくマヌンバも最初っからダメだしって構造が泣ける。湯島のクイックに対するソ連のあり方からわかるとおり、魔球に頼るのではなく、一つ一つのプレーをしっかりさせることにより勝つのが本道。そうはいっても前週のエントリーのとおり、日本はそもそも体格もパワーも無いわけで、本道でガチ勝負が出来ないからこそ魔球というか新製品で対抗せざるを得ず、そこらへんの苦悩はわかるんだよな。
 で、次回予告でどうもこずえは湯島の敗戦からなにか魔球のヒントを得るという、いつも通りのご都合主義になりそうではあるんだが、どうなんだろうな?。要するに行き当たりばったりで、かつ、現場を支える開発チームがあるわけでなくサポート体制が十分であるわけでなく、こずえという現場のかつ新人のひらめきと努力にすべてを負うナショナルチームって、なんともな。
 で、湯島は自分の必殺技が通用しないとわかっていて、じゃぁ対抗策を練るわけでもなく、しかし、やるからには全力を尽くさねばならないという、やはり現場の悲哀を体現していた。かといって監督・コーチに批判的というわけでもなく、いや監督・コーチだって努力の仕様が無く、そもそも批判の対象ですらない。ライヴァルが必殺技を使わなくても基本プレーで勝つ以上、当然それに対抗するためにはそういう体制作りからはじめなくてはならず、今手に入る素材から最大の効能を引き出すのが監督・コーチの使命であり、底力をアップさせるのはもっと上の仕事になってくるだろう。その上層部に対する批判は描かれていないが、少なくとも勝利を目指すのであればそこからやんなくちゃならないだろうという主張はなされていると思う。
 で、じゃぁ当時の日本にそれがやれたか?、別にバレーだけじゃなくて、世界の後進もしくは中進国から先進国の仲間入りを果たしつゝあった日本にそれが可能だったのか?という部分も含めての問題提起だったのだとは思う。マヌンバを通じてケニアの貧乏振りを示していたわけだが、高校編に移るにあたって進学せず家の手伝いのためにフェードアウトした柏木だってバレーをあきらめたじゃないかと思い至って、実は貧乏なのはケニアではなく日本そのもの*1であるというのが透けて見える構造になっていて、さすが辻真先と思わざるを得ないわけだが。
 で、今の日本は確かに先進国の仲間入りを果たしてしまっているわけだが、「世界のトップレヴェルと肩を並べて勝負するためには、底力の充実が必要」ということが実現されているか?、という問いを考えてみると、GyaOスタッフがなぜ今この作品を選んで視聴できるよう提供したのかがわかるような気がする。

*1:あの当時の日本人の初任給が1〜2万円であり、一昔前の開放中国の沿海部の給料と同じ。