鉄のラインバレル 第15話「ベクトル」

 まぁ燃料タンクのそばで七輪ってのは確かにダメなんだが、じゃぁそばに宿舎が建っているのはいいのか?。
 まぁそうやって、いいヤツから死んでゆくよねと。で、残ったカスが占領軍に金を貰って傀儡政権のトップにたって、日本国民をイジめるって、おっと、自民党の悪口はそこまでだ。
 で、呆れるほどに早瀬ラインは正義の味方のフォーマットに従っているわけなんだが、歳とったオジサンとしてはまた別の見かたになってくる。このような有様にしたのは少年世代じゃなくって大人世代なわけで、要するに大人世代の尻拭いを少年世代にさせるって状況を恥じなきゃならないわけだ。そこらへん今の日本と同じ。いい大人もいれば悪い大人もいるという二元論で言えば、なぜいい大人が悪い大人の跳梁跋扈を防げなかったのか?ということ。
 例えばいくらB層がターゲットになったからといって、団塊やその上の世代が正体も見抜けず(というか共犯関係になって)、小鼠の台頭を防げなかったわけで、そういう老人や大人達を少年世代に尊敬しろとはとてもいえない。そこで現れるのが自己犠牲のジュディなわけだが、でもまぁ個人の心意気ではなんともしがたいわな。何とかしなきゃならないのはその上の世代というか支配者層なわけで、現場の創意工夫では無理。
 早瀬の母や妹の描写もエグいわな。ここは何度もTV放映の形で繰り返されていた通り、かなりのポイント。昔のドラマだったら、自分の子供が許されない犯罪をしていたら人にいわれなくても先頭にたって説得していただろうし、もしくは息子の正しさを頑なに信じて、周囲全部が敵となろうとも自分の意志を最後まで貫けといった描写のどちらかだったハズ。まぁどう考えても今時のバカ親や今時のノー天気な若者への痛烈な批判だわな。
 しかし、ここで加藤機関が単純な悪かどうかは判断がつかないな。加藤久嵩は早瀬の成長を人間として喜んでいたようだし、彼のいう創造の中身が何かだよな。ここらヘンガンダム00の瑠美あたりの進化を期待するラインと一緒なのか?。森次はともかく、社長桐山はまぁなんといっても顕示欲だけが高くて内政力が0の日本国歴代総理大臣のメタファーなのは間違いないようだが。あ、もちろんこればっかりは小鼠だけじゃなくって本当に戦後の総理大臣の全員にも当てはまることなんだけど。
 しかし、自分ぐらいの世代だと社会的ポジションがジュディと同じで、組織の論理にある程度従わなくっちゃならなくて、かといって組織を変える力は全然無くって、頭を抑えられてせいぜい自分の周囲何人かぐらいにしか影響力が無い位置ってのが泣ける。いざという時にせめて捨石にぐらいにしかなれないってのがね、もう切実に感じるんですよ。
 でもまぁいざ自分が大きく何かを変えられる立場になったとして、そうそう大鉈をふるったりはしないと思うんだけどね。せめて筋の通らないことを許さないってだけなんだと思うけど、いざそういう立場に立ったら、ずっと上の世代が自分の欲に溺れていったように、自分もそうなってしまうんだろうか…。まぁそうなったらこのアニメの登場キャラクターの誰にも頭が上がらないよな。
 そりゃ単純に早瀬の激情に心震える視聴者のほうが多いんだろうけど、よくよく見たら彼の正義感はやたら作り物っぽくて、ちょっとズれた部分でスタッフの意図を悟らせるって構成がオモロイ。しかしなんだよ、在日がすっかり善玉じゃねぇか。もっと占領軍らしくブラックなところを見せてもよさそうなもんだが。