機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 第14話「歌が聞こえる」

 動物と一緒にゴロゴロ?。
 うーん、ここに来てまたさらにツッコみどころが増えたような。刹那に会っているというリボンズの言葉は、さすがにウソは無いような気がするが、そういう舞台を用意するのに無理がありすぎはしないかね?。で、その刹那が感じているかもしれない動揺がちゃんと生きてくるのだろうか?。
 刹那は信念があるかないかを問題にしていたが、アリーの傭兵のような無節操に見える生き方をそんなに無下に否定するのもなにかねぇという気はした。そこら辺もそうならざるを得なかったとかいうアリーの過去話とかでてくるのか?。
 しかし、なんだねぇ。連邦が衛星兵器を使って大量の無辜の民を殺したり、アリーが食うために(別に食うためだけなら殺す必要も無いのに)人を殺すのはオッケーで、刹那がアリーを殺すのはダメってのがどうも受け付けない。キレイ事が世の中を救うという流れにしたいようだが、もう神すら死に、宗教が未だに人を喰いモノにし続けるというのが明らかになっている現在、罪と許しの二項対立から脱却すべきタイミングなんだと思うんだよね。そもそもキレイ事が世の中を救うとでもいうんだったら、なぜ悲しみと憎しみの連鎖とやらが拡大再生産していく前に、それで止められなかったのか?というのを考えなければならないと思うんだよ。
 まぁ今の職場でも、口ではキレイ事を言いながら、本人はそれに対する実践をまったくせず、それを利用して自分の利権につなげているのが数人いて、つくづくキレイ事の罪深さを体験している真っ最中である。常々主張しているのだが、復讐の禁止は特権階級のヤリ逃げを許すものであって、キレイ事にみえて実際には世の中の混乱の元になっている。
 そもそもそういう状態を起こさないよう、予防なり配慮なりというものを最初にしておくべきなんだけど、そのためには抑制ってのが重要なのだが、資本主義社会ってのは富、特に貨幣を追求するのが本質であり、そのための原動力が欲望そのものであったりするわけで、欲望を否定してしまったら資本主義が成り立たなくなるわけだ。それでは金融を支配している今の特権階級には非常に都合が悪いわけで、で、特権階級に踊らされて欲望の赴くまゝに生産・消費している人間もなかなかその呪縛から逃げられない…というかそういう状態にあることすら認識できないわけで、どうにももどかしい。先の世界大恐慌ですら忘れ去り、日本のバブル崩壊でも学習できず、で今サブプラ発信の世界的不況ってのでもまだ懲りてない。
 で、結局このガンダム00シリーズがそこまで踏み込んだものになるのか?と言われれば、今のところその兆候は認められない。結局殴られたら痛いから他人を殴るのをやめましょうといっているだけのようにも思える。それって2000年も前にキリストが言ったことだろ?。で、今世界的にそれが実践できずに混乱を巻き起こしているのは、まさにそのキリスト教国であるわけで、なんでそんな益体も無い主張を何度も何度も繰り返すのか?。やっぱバカは死ななきゃ直らないんだよ。
 だから、今後のガンダム00の展開は、リボンズや連邦をはじめとする諸悪の根源を全員ブチ殺してENDってのをキボンヌ。口ばっかりでむしろ他人の足を引っ張っているマリナも退場の方向で。癒しの象徴も、今や特権階級によって鬱積したストレスのガス抜きにしかならず、苦しい生活が未来永劫続いていくってことにしかならない。ならそんな象徴は毒にしかならない。象徴に頼るのはNGで、むしろこの作品でもちょっとは触れられていたと思うんだけど、「自分の行動や考えを他人任せにするのではなく、考え続けること、行動し続けること」ってのがもっと全面に押し出されるべきだと思うんだが。