時効期限の無効化ネタをやってるが、またダましじゃないだろうな?。

 凶悪犯罪の時効を無期限にしようという話題がんHKラジオで取り上げられていた。なぜ今更という気がする。なんかメディアで取り上げる話題ってのは、自民党のいつものメクラマシって感じなんだよな。昨日も書いたとおり、自民党やそれに連なる特権階級がいかに国有財産を私物化し、資産を海外に逃がすかって段階に入っているから、バカが飛びつきそうな話題を振りまいて、せっせと泥棒に励んでいる可能性は非常に高い。
 なぜ犯罪に時効があるのか?と言われれば、今日のラジオでも触れていたのだが、実務面ではコストに見合わないというのが大きな理由と思われる。例えば警察のある一人をその犯罪の担当にしたとして、そいつが10年以上も追いつづけた事件が手詰まりになった時に、さらにその担当を続けさせるのかどうかは微妙な話になる。十分に手がかりを確保し、先が見えているものなら良いが、そうでなかった場合、解決する可能性は低い。で、その担当が定年になってしまえば基本その捜査のノウハウなどが失われる。まぁ警察にしたってコストがかゝっているわけで、手がかりすらつかめない犯罪にかかりきりにするよりは、普通は解決可能な事件を数処理させるほうが治安の維持には効果的だろう。
 だから、凶悪であろうとなかろうと時効があるのは有効というつもりもない。ただ、時効がなくなったとして、もたらされるものは現状より悪いものだという可能性が圧倒的に高い。それは、事件解決のために多人数の動員が必要ということになれば警察権力の増長を必ずもたらす…という点と、もし時効をなくした所で、解決に必要な人員(解決していないのだから、手を広げるためには人員の拡張が普通は必要だ)が配分されなければ、形だけの捜査になり、無駄な労力に人員を割けば、警察の処理能力が落ち、治安は悪化する。ヘンな話だが、時効をなくせば社会的コストが増大するか、治安が悪化するかの二択しか選択できなくなる可能性が高いのだ。
 さて、よく考えてみると、日本は外国と比較して割合犯罪発生率は低く、治安が良い国だと見なされている。日本は島国であり、歴史的に見ても多民族による蹂躙が比較的少なかったということもあり、好戦的な民族ではないのかもしれない。日本が他国に蹂躙されたのは、ただ一つ、バカヒロヒトが国力の10倍もの国にケンカを吹っかけて、見事叩きのめされたアレだ。
 で、他国に蹂躙された経験が少ないから穏やかかといえば、まぁこれだけ物質的に豊かな国になっているのに、自民党が同じ日本国民同士でいがみあわせて格差を拡大するようなことをやっているだけあって、昔から内弁慶的なイジメは得意ではあった。
 で、治安なんだが、例えば平安時代などは山賊などが珍しくもなく、地方では好き勝手やっていた風である。ただ、山賊・海賊などといっても、略奪行為だけで暮らしていたわけでもないだろう。海賊は漁もしていたであろうし、少ない田畑を耕したりもしていただろうし、海賊に必要な航海技術を利用して水先案内人や貿易商みたいなことをやっていたのもいただろう。律令制が強く及んでいたところもあれば、そうでないところもあったというだけの話だ。で、好き勝手やってた連中は、まるで動物の縄張りみたいな感覚で、同じ組織員が自衛手段をもち、自活していたんじゃないかって想像する。中央の力が強いときは従うフリをするが、なにせ朝廷は飛鳥期から内乱の絶えない腐敗組織である。天皇が腐敗すれば貴族がなりかわり、貴族が腐敗すれば武士が台頭するってだけの話だ。
 で、歴史的に見れば日本の村落共同体が自治を意識し始めるのが室町期かららしい。で、それを利用もし、叩き潰しもしたのが地方にいて軍閥化していった戦国大名ってわけだろう。で、天災などで飢饉や疫病が流行って人死にが出ても、まだ農地に余裕のあった時代だ。
 で、徳川期は民衆が自衛の手段を取り上げられた時期にもあたる。話は逸れるが、合衆国は銃社会とかいって、やたら野蛮視する傾向があるが、じゃぁ世界的に見てみればどうなのかといえば、やれドイツで銃乱射事件があったり、フィンランドで銃乱射事件があったりする。本来個人が自衛手段を持つのは当然のことで、日本が特異例だといっても良い。じゃぁなんで日本は国民に自衛手段が持たされていないのか?といえば、それは豊臣以来の刀狩が端緒だろう。織田にせよ武装した民衆にはてこずらされたわけで、権力層にとっては民衆に武器を持たせないのは手っ取り早い支配ではあるのだ。で、権力層が一方的に武器を持っても、基本ロクな君主でなければ、その矛先を民衆に向けることがわかっているわけだ。権力者にだけ武装手段があり、民衆に自衛手段がなければ民衆は泣き寝入りするしかない。ヨーロッパでもさかんにデモがあり、あの韓国やタイですら汚職に対して正当なNoを突きつけているのに、ただ日本だけが自己責任だといって弱いものが自殺に追いやられる。まぁそういう歴史が連綿と「権力者にだけ強制力を持たせた所でロクな事はない」というのがもう400年にもわたって沁みついているわけで、いくらキレイ事で九条を守れといった人間が後をたたないからといって、それは仕方がないことなのだ。徳川以来の権力層のボンクラぶりを延々と見せつづけられゝば、そうなるに違いないのだ。
 で、話は元に戻るわけなんだが、江戸初期に武装手段を取り上げられた民衆がやったことは、戦後日本が軍を持たない代わりに経済発展したように、開墾などの農地開拓に注力したわけだ。江戸中期にはほぼ農地として利用できる土地は開墾し尽くしてしまう。で、その農地で取れる分だけの食い物分しか生きていけないから、人口が2500万で飽和してしまうわけだ。農地を増やすには人手が要る。当然子沢山になるわけで、人口が飽和したからといって子作りのペースを落とすという理性が働いたわけでもない。今よりはるかに娯楽の少なかった時代のこと、ヒマな時にやることといったらそれぐらいしかないわけで、子供はボロボロできる、で、食わしていけるだけの農地は飽和状態で、ちょっとしたことでボロボロ体力の無い餓鬼から死んでいく、で、死んだ分だけまた子作りするというダメなスパイラルの完成だ。
 そんなに酷いというわけでもなかったんだろうが、食いモノは少なめ、娯楽が少なく気を紛らす手段が無くていつもイライラという状態が、治水の悪く人口の多い平野部で慢性化していたろう。まぁイライラしているんだから、余計なちょっかいをかけてイライラを爆発させるなって倫理ができて当然だろう。昔は今と違って移動手段も限られていたし、職業選択の自由も制限されていたぐらいだ。地縁が強くもなろうし、ローカルルールもできるだろう。人間の流動性が低い田舎などでは、気を遣う遣わないのノウハウは発達するだろう。余所者からの擾乱に対しては、気心の知れた組織員が統一して事にあたれば解決は容易だったろうし、それは統一行動といってもガチガチの統制社会や監視社会というよりは、そうした方が実は生活がラクじゃね?といった要素が強いものだったに違いない。だから、組織内の構成員のトラブルには全体で事にあたるといったことが自然に出てきた(そういう時間はたっぶりとあったろう)のであろう。その土地の世話役、庄屋なりが調停役をやったりもしたであろうし、とにかく、役人の介在は今と比べてかなり少なかった。まぁ僻地に常駐する役人もアレだろう。江戸も100万都市といわれながら、治安組織は南北町寺社奉行といった小規模なものであったことは知られている。基本民間のトラブルは、よっぽどのことがない限り、民間で処理というのが徳川期に発達したのだろう。で、武士ですら私的制裁は許されていた(手続きはあったらしいが)わけだ。まぁ大事になることもあるが、大抵は狭い土地に住み、極力トラブルを回避するような生活を民衆はしており、かつ調停色の強い司法権や弱い治安維持能力も持っていたと考えられる。
 で、それが壊れるのが明治維新だ。中央集権化を進めたい政府は、国民から私的制裁権を含む司法権を取り上げる代わりにそれを代行するというタテマエの元、法整備を進めていく。ただ、民衆の側でトラブルを避ける生活の仕方や、大事になる前に処理するというノウハウが身についていたために、そうやすやすと治安が悪化したわけでもないってのが戦後までの流れだと思う。ただ、高度経済成長期を過ぎ、日本が飢えることがめったにない豊かな国になってから変貌した。合衆国にとって中国ににらみを利かせるために在日基地に占領軍を配置したまゝ、日本を太らせることに専念した。どうせ占領軍の駐留費用は日本が持つのだ。
 【大増税】命落とすな!自民落とせ!【貧困・自殺】4

715 :名無しさん@3周年:2009/01/07(水) 03:57:53 id:Kn6yAjyd
自民党は、成立の段階で児玉誉士夫が大陸から略奪してきた隠れ資金
とCIAの工作資金で立ち上げた党らしい。
児玉資金から893とウヨクにかなりの資金を配ったらしいよ。
ドイツ国営放送で、ドキュメントされてるから、一度見てみてね

 で、日本の成長を目の当たりにして、欲に目が眩み、同じ日本人でありながら民衆のふところに手をツッコんで私腹を肥やすことを本格的に実行し始めたのが土光臨調であり、また中曽根内閣であったりするわけだ。彼らが民衆が元々もっていた道徳や倫理観を破壊して、社会資本を外部経済化し(要するに、地域の活動であったものを商売にして金に換え、税金や企業利益として資本家と結託した政治屋が私腹を肥やす構造。何度もいっているように、今苛酷な労働環境になっている老人介護や医療・教育を破壊した)て、なんでもカネにした。クレーマーやモンペがはびこる現況ってのは、そういう自民党の最大の成果なわけだ。
 で、民衆のモラルを破壊してカネを毟り取り、社会が荒れたからその負担をまた民衆に押し付けようってのが、冒頭の時効の無効化であり、また、今同じように話題になっている裁判員制度だったりする。難しいのは、例えば裁判員制度ってのは確かに民衆が本来もっていた懲戒権・私的制裁権を含む司法権を、その実行のノウハウも含めて取り戻すいいきっかけという見方もできる。ただし、いまや資本家の利益のために高度分業化されたこの社会で、一人一人が生きるために精一杯で自分のことしか見えない蛸壺化したこの状況の中、とてもまともに機能するはずがない…仮にしたところで、それは自民党のおかげじゃなくって民衆自身の努力に負うものだろう…ということだ。まぁ自民党が相手に精一杯尽くす純情な乙女を誑かし、堕落させた上、もう毟り取るものが無くなったから、こんどは置屋に売り飛ばすって女衒と同じ行動をしているだけに、そういう流れにハイハイと従っていては、またどん底に突き落とされるだけだ。小鼠純一郎もケケ中平蔵も、さんざんそうやって国民から搾り取った挙句、その資産は今バミューダの隠し銀行口座にうなっているらしい。
 今、我々がやるべきことは、裁判員制度や、このメクラマシ時効ネタに右往左往することではなく、まず、資本家やそれに結託して私腹を肥やしてきた自民党を初めとする政治屋を、国民が犠牲になった3倍以上の犠牲を払わせるか補償をさせるかをキッチリさせたうえで、彼らを永久に権力の座につかせない様した上で、あらためて議論すべきだと思う。まず、国民に自己責任を強いて犠牲を払わせたそのツケを、きっちり彼らにも自己犠牲の名のもと、払わせるのが先決だ。