2008-10-06

 最近社会問題が結構面白くなっている。この3つも通勤時に良く考えるテーマだったりするので、結構国民的ホットな話題なのかな。

  • (1)食品偽装

 かなりの部分同意かな。ただ馘にされた人がそのたびにリークしていたら、その人の次の雇用先が無かったりしないのかなとは思う。今、考えている分野が輸入食材で、毒米や毒ミルク製品の報道が激しくなるにつれ、毒ギョーザの日本側犯人説が自分の中で強くなりつゝある。毒米なんてかなりの年数経っているわけで、メタミドホスの件一つとっても、毒性は既に関係者にあたりまえのように既知であったわけだ。で、毒性があることをわかった上で輸入し、自分のところで爆発しなきゃいいとの考えで、導火線に火のついた爆弾を回し続けていたわけだ。国民の目の届かないところで。というか意図的に隠して。
 で、毒ミルクは全世界中で問題になっていることもあって、中国政府が本気になっているせいもあるのかもしれないが、問題化してスグに原因が突き止められた。品質検査で、たんぱく質成分を水増しするためにメラミンを混入したことが、報道して2〜3日のうちにはっきりしていた。
 で、毒ギョーザである。その後中国国内に横流しされた問題商品のことを考えると、使用されたメタミドホスは、実際に食品に混入された分だけでなく、本当に殺虫剤として使われた分も合わせて、肥料袋2〜3個ではすまない量のはずだ。それがどのようなルートで搬入され、どこでどのようにして食品に混入されといった経緯が一つも明らかになっていない。これはちょっと調査しただけでわかるレヴェルだ。ということは、これは日本側も中国側もどちらもわかっていて公表していないだけで、つまり、隠蔽だ。
 で、この毒ギョーザはどの時期にどこで発表されたか?。それは消費者庁設立を是非している最中の日本で事件が発覚したわけだ。しかも政府系企業のJTフーズというからこの一致は素晴らしい。事件として報道されるためにはどうならなければならないか?。ちょびっと少量混入して、長期間経過して被害が現れるかどうかというのでは話にならない。口にした購入者が劇的な症状を起こして全国ニュースになるような量混入されていないと意味が無いわけだ。しかもTMでさかんに問題になっていただけに日本のほうがヤラセの聖地である。中国はともすれば民族紛争が起きやすい土地柄で、日本人が痛めつけられたニュースよりは、日本人によって中国人が痛めつけられたニュースのほうを好むだろう。
 なんつーか、毒米と毒ミルクの事件で日本・中国がどう対応したかで、実は毒ギョーザの真相がわかりやすくなるというのは皮肉ではある。とはいえ、本当に中国側に原因がある可能性もまだ残ってはいるわけで、なんともいえないわな。ただ、毒ギョーザ事件に注目するという形で報道される事柄は、すべて信じてはいけないんだろうなということだけははっきり言える。

 これはどちらかと言うと、コメント欄を支持したい。

労組の話はさすがに無いわ
あれ諸悪の根源は厚生労働省の官僚さんだもん、で次に悪いのが社会保険庁という国家公務員
労組とちょい違う

 リークしたのが労組というのはあるかもしれないが、労組が組織的にというのは疑ったほうがいいかと。で、官僚はともかく、年金の不正受給を指示したのは、さらに上の自民党公明党の代議士や、代議士でなくとも党員が関与しているわけだろう。自民党はヤクザ、公明党は信者に利益供与しているのは周知の事実で、某巨大掲示板自民党工作員がそれとわかっていて自己撞着を起こしているのも見苦しい限りである。もちろん経団連との結びつきも強く、それが給与額改竄指示にもなっている。昨日の答弁でも、8億件の書類が見つかったとかで、麻生やマスゾエが糾弾されていた。しかも都合の悪い書類は自民党が野党に渡さないよう指示をしていたということで、戦前・戦中の検閲も真っ青といった事実が明らかになった。マスゾエが見つけたということに公にはなっていたらしいが、実は民主党議員が資料請求したのを横取りして自分の手柄にしたそうだ。官僚はむしろ決められた手順に忠実に動くだけなので、年金の不祥事はすべて指示した自民党の采配のせいということになる。官僚のせいですらない。もちろん自民党に便宜を図ることで利権を得た官僚は大勢いるだろうし、そのために下っ端に圧力をかけた社会保険庁の管理職もいるだろうから、そういう輩は全体の奉仕者ではなく、自民党と我欲の奉仕者なので、遠慮なく処罰してくださいというしか。で、自民党や特にマスゾエが処罰するかって?。処罰したら自民党のせいだとリークされるだろ。するわけ無いじゃんかと。証拠が見つかったのはたった一件だとか言っているし。その一件だって証拠不十分だとか、途中で紛失とかするんじゃねぇの?。

 前にも述べたとは思うんだが、相撲の八百長はそれこそ自分が物心ついた頃からずっと言われ続けてきたことで、それこそ何を問題視しているのか?といった感覚である。相撲は別にスポーツでも武道でもなく、神事だ。もちろんスポーツ・格闘技として、なわばりを確保する陣取りゲームとして考えられもするが、基本すっころがらせるか、すっころげるかで勝負を決めるもので、相手は神である。神と勝負してうっかり勝ってしまって機嫌を損ねて、旱魃にあったり冷害に遭わされてはたまらない。神に勝たせてやることによって機嫌良くなってもらい、自然の恵みを神から授かるわけだ。神は勝利を得て、人間は豊作を得る。そういう構造の神事なのであって、あれは決して本気で取り組んだり、スポーツマンシップにのっとったり、公平さというものをちっとも期待したりしてはいけないものなのだ。
 実際の相撲もそうだろう?。神の代理とも言うべき横綱は勝つべきものであり、負けると凄いブーイングを受ける。たしかに金星といって、横綱に勝った力士を称えることもあるが、話題になるのは横綱の星数だけ。カド番なんてのも下っ端にはほとんど話題にされない事柄である。昇進だって、成績軽視(どうせ金でやり取りした成績だから、重要視する必要も無い)で、品格とやらを重視する。勝ち星が少なくったって、役員への賄賂品格さえあれば十分だ。上下構造をそれこそ何より重視しているのがその証拠である。横綱は勝ち星を得て、下っ端は金を得る。これは相撲が神事であることを考えると何の不思議も無い。それが証拠に、八百長を非難している親方は、現役時代実力があった力士がほとんどである。相撲を公平なスポーツと考えるからおかしいのである。

リークしている側は「大麻で首になった外国人力士」です。

 まぁ日本の文化を理解していなかったとしかいいようが無い。というか、大麻は海外ではむしろ神事だったりする。グルジアだのオセチアなどはロシアではあるが、中近東であって、それこそユダヤだけでなく、ありとあらゆる宗教が現れては消え、いや消えなかったものもあるが、とにかく宗教の坩堝といったところだ。麻なんてのは、捨てるところが無いといわれるほど有益な作物で、それこそ棉が本格的に流通するまでは唯一の衣料原料といっていいほどのものだ。それほどありがたい作物ではあるのだが、ガンジャとしても使用でき、しかも毒性はタバコより低いという優れもの。
 で、このガンジャが陶酔作用を催すというのは、いうなれば日常からの解脱、つまり神に近づくということにも繋がるわけで、いろんな宗教の神事に使われてきた。そういう外国の神事を日本に持ってきたのがマズいというわけだ。多分相撲協会のお偉方は、そういう宗教侵略の側面は一切理解していないと思われるが、要するに、日本の「神に対して負けてやる」という理性的な宗教行事が、外国の「薬に頼って我を忘れ、神に近づく行為」という、既に理性と感情といった概念を超えた、むしろ人間であることを捨てるといった行事であるわけで、それらがまともに折り合うはずが無い。理性的な宗教行事であるからこそ、相撲部屋のいじめも、あれは「わかっていて」やるものだ。決して「それがどんな結果になるかわからなかった」というものではない。アレは犯罪だ(というか、相撲の世界では犯罪が犯罪でなくなるということをわかった上で)ということを自覚してやっている。
 というか、今、本当に相撲をスポーツとして見ている人っているの?。結局千代の富士のように、科学的なトレーニングを積んで、勝つにしてもなぜ勝ったか?が合理的に説明がつく時代は自分も見ていた。で、それもほとんど真剣に勝負に向き合っている力士の取り組みしか興味が無かった。スポーツであれば、そこには明確な合理性が必要であると思う。だからこそルールを重要視し、競技者もその土俵の上で公平に戦うのだろうと思う。ルール自体や判定に恣意性が見られたらもうつまらない。だから公平性が廃れたら、すぐに相撲に興味を失ったし、それは今でも続いている。職場でも一度郷土力士が活躍した時期に湧いたことがあったが、それもスグに廃れた。
 祭りは一年に一度、それもその文化を共有する成員の共通行事として(観客としてであっても)参加するから意義があるのだ。海外に行っても別に民族行事をホテルで毎日やっても真剣さは感じないだろう?。一時期ハワイ出身の力士が活躍したのもそういう理由だからだと思う。金を稼ぐ手段としてであっても、毎日フラダンスを踊るのが当たり前の日常だったからこそ、構造が同じ相撲にも抵抗が無かったわけで。
 地元民だけの祭りによそ者が参加するのだって、普通の人間なら恥ずかしいし、マイナーであればあるほど、見に行くのだって場違いな感じがするはずだ。ちょっと変わっているとか、大規模であるとかで、観客が見に行くのが当たり前になっている祭りだって、運営主体と観客では意識が違うのが普通だ。ヘンに観客が同情を寄せたところで場違いなだけだろう。少なくとも商業主義に毒されていない日本人ならそう思うはずだ。ただ、今では地域共同体が壊れてしまっているので、商業主義的な祭りを思い浮かべる日本人が多くなっているはずで、もうそんな時代ではなくなっているんだとは思う。祭りの運営主体がいなくなって、祭りが成り立たなくなっているというのも、もう数十年前からいわれている話だ。民謡だって廃れている。
 だから、その時代の変化に相撲も従うべきだという流れならわかる。ただ、相撲の支持者はそう思っていないんじゃないかな?。リンク先にもある通り、だれも新しい問題だとは思っていない。だったら、少なくとも、神事なんてもんに税金を投入するなとか、優先的に公共放送に枠を作るなとか、やりたい奴だけで金を出しあって勝手にやれといったことなら、いくらでも言っていいんじゃないだろうかとは思う。自民党が農業を軽視し、農政が失敗続きなのに、今更農業をベースにした神事もないだろうしな。別にスポーツである必要も無いし。アングラでトトカルチョもやってるだろ。相撲なんて競輪競馬でいいんだよ。