マッハGoGoGo 第47話 モンスターカーの復活

 敵より自分の燃料を気にしろよ。
 いやいやなんというか、前回の神がかった脚本とはうってかわって、元の木阿弥。1967〜68放映のアニメで、22年前に電子頭脳って、WWⅡに開発されていたってこと?。しかも敵国内部に潜入して自爆とか、どう考えても特攻決戦兵器としか。ゲルト帝国って、前にも出ていた奴だよな。クソ迷惑な。
 出てきたモンスターカーは雷に打たれて起動したので、てっきり電気自動車かと思っていた。メチルアルコールで動くのか。なるほどなぁと思ってググってみたら、実はジェット燃料としてはあまり使われておらず、むしろ内燃機関用途が多いらしい。ジェット燃料として有名なのはMe163ということだ。ずっとヒドラジン過酸化水素の爆発的反応だと思っていたが、

Me163の燃料(C液)は、重量パーセントで57%がメタノールなんです。その他水化ヒドラジンが30%、水13%、触媒は僅かなので重量パーセント表示には出ません。

 ということらしい。
 ほかにも、装甲車で撃退しようとしていたが、せいぜい37mm程度じゃダメだろと思っていたら、ちゃんと戦車を登場させていた。多分これ。軽といえども、戦車なのでそれなりにダメージを与えるのかと思っていたら、モンスターカーはこの戦車の何十倍もの大きさだった。確かに撃退はムリ。
 モンスターカーに近づくと命は無いと、特攻隊志願者を募る構成がまた泣ける。しかも女の子の人質つき。結果的に生き残ったからよいものの、無言で居合わせた人間に圧力をかけるのはまずいよな。案の定剛が志願しているし。
 まぁこの時期は個人の犠牲が世間一般に尊ばれていた時代で、自分もこの時代にこういう場面を見たら確かにほろりとさせられたに違いない。しかし、この時期は戦後20年ほど経過しただけだ。日本のために犠牲になった特攻隊の若者を称える雰囲気は健在だったろう。自分ですら10代の頃は自己犠牲が美しいと思っていたぐらいだ。しかし、就職してから「実は特攻隊は純粋な志願制ではなく、志願しなかったものには昼夜わかたず非情な志願圧力がかけられた」という資料を見て正反対に変わった。今でこそ日本会議だのという偽善売国団体のスポークスマンになりさがっているが、曽野綾子も「イギリスでは個人に犠牲を背負わせる方法は絶対取らない。自己犠牲をこんなに尊ぶバカな国は日本ぐらいのものだ」と書いていた(と思う)。山本七平の日本の「空気」を批判する態度、そもそも勝てる見込みの無い戦争に突入させられて、日本人はトコトンバカな国民性だよなと書いていて、日本というのは無言の強制が慣例化しているというのを知ったのも就職してからである。
 しかも、その後景気の後退とともに慣行化するサビ残、タコが手足を切り取って頭だけ生き残るようなリストラ、派遣・偽装請負が常態化して「働けるだけマシ」と大声でがなりたて、貧乏人が過酷な状態に居続けるのはあたりまえとうそぶく自民党経団連の有様を見るにつけ、あぁ戦時中も現在も国民の自己犠牲で特権階級が肥え太っていたんだなという構造に今、ほとんどの国民が気づきつつある。平和ではあるが、生きるのが苦しい時代になって、自己犠牲の美しさを喧伝することの醜悪さに今更のように気づかされるのは皮肉といえば皮肉だ。確かにどっかの国と交戦状態にあるわけではないが、自民党の想定している「見えない敵」のために、自殺者年間3万人以上、交通事故死ほぼ6千人、そして、ストレスが原因といわれる癌による死者が320万人以上だ。終戦直後の癌による死者は70万人、終戦直後の人口が8500万→現在13000万と増えているにせよ、人口増加分を差し引いても100万は増えているわけだ。末期癌を除き、医療技術が進歩して治る癌も増えているのに、戦後一貫して癌による死者は増え続けている。つまり、ストレスに晒され、体が壊れて癌で死んだり、精神的に壊れて自殺したりして、病気などで自然死するより数百万もの余分の人間が時代の変化に耐え切れずに殺されている。
 もちろん特権階級はそもそもコネで優遇されるから過酷な環境に晒されることも無いし、金でいくらでも高級医療が受けられるわけで、被害に遭っているのは貧乏人が多いだろう。そういう事態を悟らせず、貧乏人は何の疑問も抱かずに特権階級のために犠牲になって死ねというのを美化したのが、「全体のために自己犠牲になれ」という道徳教育だ。もちろん自己犠牲をなるべく避けて誰も彼もが我儘の言い放題をしろというつもりもないが、自民党が押し付ける道徳は石橋を叩いても渡らないだけの慎重さが必要だ。
 あの時代にそういう話運びにしろというのはあまりにムリがあるが、これからはあの女の子を助けるにしろ、誰もが犠牲にならない方法をあの場にいた全員が知恵を振り絞ってひねり出すべきだろう。剛が成功したからよかったものゝ、もしクリ坊がマッハ号のトランクに忍び込んでいなかったら、クリ坊が剛をたたき起こすことができなかったら、あの場にいた3人と1匹は全員死亡していたわけで、ミイラ取りがミイラになったというのはヘンだが、少なくとも助けに行った2人と1匹が無駄死にしていた。それならむしろ助けに行かないほうがよっぽどマシという結果だったわけですよ。
 自己犠牲を賛美する社会は、人を死に追いやることになんの躊躇も抵抗も無い社会であって、そんな社会の成員になりたいって本当に思う?。