【論説】 「今の若者、『俺はやればできる子』と根拠ない自信持つ」「『声優は楽そう』と志望する子多数」…「コードギアス」監督★6

 金曜の午後にはスレが立っていて、まる3日というか、72時間で6つめ。スレ番1のリンクで一応はじめの部分を見ることができる。or23
 とりあえず、いつも通り、思いつくまゝだらだらと書いてみたい。まず、谷口監督が'66生まれで、たぶん自分に近い年齢であること、管理教育で有名な愛知県出身であることが気にかゝる。で、「次回に続く」ということから、この記事単体で判断してよいか迷うな。あと、監督が言っていることはある程度割引いて考えなきゃならないのかなということ。視聴者がそれぞれの受け取り方をしてもよいという作りなら、表現者が決まった答えを明かしたりするはずも無い。発言した内容が作品に込められているにしろ、それはほんの一面である可能性を頭に入れておく必要があるだろう。
 スレでは、ゆとり世代を糾弾するような抜粋が行われているが、本文を読むと、

  1. 市場や学校にリサーチをした。
  2. 昔も今も若者が求めるものは変わっておらず、それは「万能感」である。
  3. ただし、ゆとり世代は行動が著しく伴っておらず、楽ばかり求めているようだ。

 という構成のように思える。日経インタヴューなので、どう商売につなげるか?の視点があるのなら、次回当たりゆとり世代の長所に言及して、これからの方向性を語るかもしれない。
 しかし、ざっと読んで、監督が視聴者の欲求にどのように答えたかというのは、(順序は逆になるが)

でも、「夢のようなスゴイものを、努力をしないで獲得できる」という思い込みが今の若い人にはあると思います。

 という分析があって、

―― それは「コードギアス」の主人公ルルーシュが、「ギアス」という、相手の目を見て命じるだけで意のままにできる能力と、その能力を使って世界を動かそうとする物語とぴったり合致しますね。


(中略)


 「コードギアス」は昔からある物語に比べて、万能感がダイレクトに突出していると思います。

 という結論になるわけだ。うーん、なるほどかな。今や親や教師などの大人は子供の敵ではなく、友達関係とまで揶揄される。実際には親や教師に金銭的にも社会的にも支えてもらっていながら足蹴にしているわけで、もっと性質が悪い。見知らぬ他人にタバコなどを注意されても逆ギレし、子供の暴力に大人は黙って耐えなければならないが、子供に大人が暴力をふるうと、警察・裁判所までもが大人を袋叩きにする世の中である。子供が自分の言うことを周囲が黙って聞くのは当然と思っていて、楽な仕事を求めるというのは良くわかるような気がする。
 確かにルルーシュの今までの行動を見ると、なるほどと思わされる部分はある。ルルーシュのギアスは「子供の振りかざす権利とやら」と置き換えればわかりやすい。もちろんストーリー上では、それそのまゝの意味ではないが。そういやルルーシュはギアスを大人には躊躇い無くかけ、人の命すら簡単に捨てさせる。その反面、自分の友人にかけるのは非常な躊躇が見られる。ウザクしかり、シャーリーしかり。虐殺皇女もルルーシュ自体にギアスをかけるつもりが毛頭無かったわけで、彼の範囲の狭いインナーサークルにはギアスを使いたくないという強い意図が感じられる。
 で、ギアスを使うことが巡り巡って自分の不幸に繋がるというのが作品の主張であるとは言える。ある意味視聴者の全能感を最終的には否定するような内容のように思える。視聴者をバカにするなんてという意見もあろうが、中高生のアニオタは、ヒッキーでもない限り、学校的価値観に対しては従順である可能性は高いので、むしろ学校的価値観をバカにしている層への非難をアニオタに見せているのかもしれない。好意的に考えると「ルルーシュを見て、こういうヤツにならないよう気をつけろ」という意味が強いのかも。
 この記事を読んで考えてみると、確かに年嵩の視聴者も多いんだろうが、監督としてはやはり中高生向けにこの作品を作っているんだろうなという気はする。ルルーシュという他人を駒として扱う頭でっかちな少年がギアスの業に苛まれるということがメインメッセージだとすれば、なんともオヤジがストーリーのハチャメチャ具合を槍玉に挙げて批判するのもなんだかなという気がしないでもない。でも、社会的テーマの部分ってのがどうにも卑小に見えてしまうのは仕方がないよな。
 やっぱ子供向けと割り切るしかないんかね?。優れた書籍だと、子供にはエンターテインメントで楽しめるが、大人の視点だともっと味わい深く読めたりすると思うんだが、そういう重層的な作りにはなってないのかな。