ドルアーガの塔〜the Aegis of URUK〜最終話

 いちおう見直した。絵的にたしかに凝っていたところもあったのだが、総じて台詞をきちんと聞いていれば十分といえば十分。うまく作ってあるわ。
 終わってみれば、ジルの成長というのも自然な流れだったんだろう。状況が厳しくとも、それにぶつかるだけで解決しようとする部分はほとんど変わらなかったし、それはそれでいいとは思う。まさかここで老獪な性格に一挙に変わるわけにもいかんだろう。前にも述べたが、彼は自分自身の欲望を全面に出さなかったからこそ塔頂者の中心にいることが出来たわけで、最後の最後に裏切られることによって、次回よりより一層の成長を見せるという流れは順当である。
 ケルブのあり方も、終わってみれば指揮官としてありえないほどの理想的な人物であった。エタナの素で呆けているんですかの問いも、そりゃケルブとしてはエタナの気持ちを衆人環境のもとで受け入れるわけにも行かんし、かといって拒絶してエタナを傷つけてもいかんわけで、ケルブが実際エタナをどう思っているかは別としても、ありゃなかなかうまいやり方だよなとは思った。前半の能天気なほどの明るさも、やっぱミッションの壮絶さで部下の士気を下げるわけにもいかないと、わざとそう振舞っていたというのが終盤でわかる仕組み。ホント自分が人にどう見られるかというのに最大配慮した行動をとっているんだよな。
 伝説の塔が現れた瞬間に頭をよぎったのは、「今の日本を苦しめている主要因が自民党経団連であろうと、それを倒したところで限定的な幸せしか得られない、もっと上層にいる、世界の支配者たるアメリカだのユダヤ資本だのを倒さなければ真の平和は訪れない」みたいな構造だ。まぁ別にこの作品が本当に名指しで日本やアメリカを糾弾しているとは今のところ思えないわけだが…。
 目に見えている敵はジルのような理想主義者の吶喊で何とかなるかもしれないが、目に見えていない敵は、見えないからこそより複雑な倒し方が必要ってとこなんだろう。それこそ、騙し騙されが横行し、それでも何とかやりくりして当面の敵を倒したり、自分のステータスをあげていかなくちゃならない。物事の表面だけしか見えなくて、徒手空拳のみを振りかざすのではいいようにやられてしまうだけ。人の心の裏の機微も読んで、できるだけよりよい手段を行使できるものだけが更なる高みを目指せるってのも納得である。ニーバはなぜジル達を誘わなかったのか、伝説の塔に登るのに人数制限があるようにも見えなかったんだが、やはり理由は分かるような気はする。
 まぁ第二期はそのへんのジルの成長も合わせて見せてくれるんだろう。ただ、そのへん単純なヒロイズムだけを望む視聴者には見てしんどい展開が続くかも知んないな。第一期はバカでも糾合して怪物を倒すということがやれたのだろうが、第二期はバカが居ちゃぁ、てんで状況が前に進まないどころか、敵にいいようにあしらわれて終わりという展開だろう。
 メルトやクーパは次回出番があるのかな?。彼らの持ち味を残しつつ、成長もさせておくのはちょっとしんどいような気がするが。ケルブやエタナは国軍にいるかどうかはともかく出番があってもおかしくないけどな。まぁさすがにファティナは残さない展開を考えるほうが難しいと思うんだが。
 物語の進度からいうと、さすがにドルアーガを倒してめでたしめでたしという風になる可能性は低いなと思っていたんだけど、自分自身ラスボスとの対決後のどんでん返しが終わり5分ぐらいのアニメ('80年代までのアニメってそんなの多かったことないですか?)のつもりでいたので、まさか続くとは思わなかった。ウルク国が幸せになりました…というのをCG処理で、モンスターをあっさりと消すだけというのにはビビりましたが。まぁ確かにドルアーガを倒したその先があるってのは散々ニーバが言っていたんですけどね。でもそれをもう1クール?かけてやるとは思わなかった。人気が無くて第二期なしの展開も賀東は考えていただろうけど。
 しかし、軽妙な語り口と、こっ恥ずかしくなるほどのヒロイズムのバランスはよく取れていて、現代性も兼ね備えている点ではかなり楽しませてもらいました。アニオタ以外への訴求力は、さすがにアーメイの年齢設定が19である(クーパはさらにありえない10歳設定)という段階でパスだろう。さすがに派遣だのブラック企業だのを直接見せるわけにもいかないんだし(テレビドラマでそれやって、スポンサーがつくはずも無く)、ファンタジーの衣装をまとわせながらもいい題材設定だと思うんですけどね。もったいないんだけどさすがにアニオタ以外の人には薦められんわ。仕方がないのは重々承知ですがね。おもろ+。