野性の証明をGyaOで見たよ。

 いやぁ、結構面白かった。役者が演技をしているよ。1978年製作で、1980年の物語と銘打っていた。ヤッターマンとほぼ同じ、今から30年前の作品なんだねぇ。いまGyaOのレヴューを読んでいるんだけど、そのおかげで当時の様子が思い出されてきたよ。

 その当時はTVCMで薬師丸ひろ子さんの父さん怖いよお父さん大勢で殺しに来るよのセリフが流行しますた。

 そうそう、そのコピー確かに記憶がある。でもレヴューを読むまで失念してました。

 問題のラストは、原作者の森村氏が激昂したとか失笑したとか イワク付きですが、自衛隊を扱った以上、健さんを華々しく撮るための「お約束」みたいなモノかと。

 そうなんだぁ。最後はいきなり薬師丸ひろ子のPVになっていて、確かに失笑した。エンドロールも健さんモテモテのシーンが目白押しで、なんだかなぁと。

 当時の映像技術や戦車・ヘリの手配などを考えると、作り手の苦労がひしひしと伝わります。確か日本の自衛隊の協力がメインではなく、撮影は米軍の協力で行われていたと記憶しています。

 当時自衛隊は映画製作に協力的でない時期であった為、戦闘シーンのほとんどはアメリカでのロケで、特殊部隊の隊員は一般公募されたエキストラが軍隊同様の訓練を行って、演技に望んだそうだ

 ははぁ、なるほど。あの当時なら61式戦車なんだけど、米軍の中古でなぜ?と思いながら見てました。ヘリはどうやら自衛隊のものみたいなんだけど、最後の撃墜シーンのところだけラジコンに身代わりをさせていたよね。


 さて、概要としては高倉健がよく出演したヤクザ映画と構成はよく似ている。我慢我慢でカタルシスのアレ。原作もそうなっているのかな?。Wikiによると映画化前提での執筆だそうだから、あながちヤクザ映画のプロットを踏襲したというのは間違いじゃないのかな?。
 巨悪だの身近な悪だのの描き方がわざとらしいが、なりが大袈裟なだけで大まかには現代にも通用するような気がした。自民党の腐敗というのが、当時は清和会というよりは経世会だったわけで、二束三文で土地を買収し、公共工事を入れて土地の値段を吊り上げるという手法が提示されていた。あの当時は誰でも知っていた自民党の利権漁りの手法だわな。
 それに対する民衆側の抵抗も描かれていた。健さんのあり方に共鳴して、みごと返り討ちにあうというのもヤクザ映画のお約束だが、これまた現代にも通用するっぽい。もっとも今は無駄な抵抗だと分かっているだけに、民衆の側が耐えに耐えるという描写が多くなっているとは思う。
 この作品中で地方自治とうそぶかれていたのが、結局その土地の有力者の独裁帝国であるってのも色々考えさせられるねぇ。今の政府が提唱する道州制も、無所属とはいいながらほとんど自民党推薦の知事が賛成しているというところからも胡散臭いのだが、やっぱ実態はこのようになってしまうんだろうなと思わされる。土地の有力者の権力の振るい方にもよるのだろうが、この作品では有力者と住民が持ちつ持たれつの関係には描かれて無いわな。特に寒村の住居のみすぼらしさとか如実に物語っているし。
 自衛隊の描かれ方も迫真のように感じる。テロリストとはいえ、アメリカの外交官を守るために平気で日本人を撃ち殺す自衛隊とか、同じ自衛隊でも平気で一般隊員を任務尊重人名軽視で問答無用に撃ち殺す特殊部隊員とか、やりすぎの感は否めないが根本ああなんだろうなと思わされる。軍への昇格を切望していたが、安倍バカ総理が自衛隊に何の功績も無いのに省へ昇格させ、現段階では日本の最重武装軍艦であるイージス艦が国民を轢き殺しても降格されないところを見ると、日本にとっては身中の毒なのにやたらプライドが高い様子とか大いに頷ける。まともに日本を守る意識が高い隊員は自殺に追い込まれる環境だもんな。大部分の隊員は悪意が無いか、出世志向の強い管理職の命令にしかたなく従っているんだろうけど、組織のあり方が腐っていると彼らというよりは国民自体に大迷惑。
 警察もそうなんだろう。結局組織に従うとなれば現状を無視して任務最優先だろうし、いざ国民の安全を守るという大原則に従おうとすれば、自然と国家権力に歯向かわざるを得ないという描写だった。こういう事件が異常なのであって、いつも権力と市民との間でストレスに苛まれるということは無いと思うが。上司への上納金の確保のための虚偽の領収書を書いて裏金作りってのはさすがに無かったね。
 

 安全な生活を送るためには、むしろ不当な圧力に抗するために野生に戻らねばならないというメッセージはなるほどとは思ったが、その幸せな生活の象徴である親子関係というのが錯綜していてわかりにくい。実の子供を手にかけようとする実親と、子供を守るために他人を手にかけようとする仮親(高倉健)の対比、それに権力で他人を虐げて子供を守ろうとする実親(三国)という対比の軸もあって、視聴者に考えさせる内容になっている。薬師丸ひろ子が実親と仮親のあいだで揺れ動く姿を描くのだが、その部分は突き詰め不足といった感じがした。あれじゃ子供はバカにしか見えない。いや、実のところ子供なんて感情で動いてしまうとあれほどバカだったりするんだろう。しかし、もうちょっと子供の側の葛藤を描いたほうがウソ臭くても、考えさせるためにはいいんじゃないかと思ってしまう。昔の一般感情がどうあったかは別に置いといて、あくまで現代視点のみの考えだが。あんま親子愛というのが大きなテーマではないんだろうなとは思っている。森村誠一といえばハードボイルドの立場が大きいだろうし。
 というわけで、社会描写とか、弱者の気概とか、結構見ている側に迫ってくるものがあって、期待以上の出来だった。レヴューでいわれている通り、結構辻褄の合わないところが多いんだけど、後半部分はどちらかというと象徴的に描かれているので細部に突っ込むのは野暮なんだと思う。っつーか、リアリティを追求すると最後とか意味わかんないということになるだろう。最後のヒキがああなのは、そりゃ観客への強いメッセージが込められているわけで、あの煽りをまともに受け取って訳わかんないといっちゃうのは少し待ったほうがいいかと。
 というわけで、原作も未読だし、今まで視聴したことが無かったんだけど、いざ見てみると結構面白いと感じられた。たまには実写ドラマも見てみるもんだな…というか特に毛嫌いしているわけでもないんですが、最近のはちょっと対象視聴層のレヴェルを下げているような気がするもんで。いや、アニメだってそうなんですがね。