マクロスFについてちょっと。

 うーん、通勤時にちょっと振り返ってみたんだけど、戦闘機のマニュピュレータの繊細なコントロールの描写や、勤務時間が22:00だの、やっぱ現代のサラリーマンに重ねているところがあるのかな?という気がした。
 今、ブログ界でちょっとした話題になっている、マッチョとウィンプ論争でいうのにも関連はあるんだろうか。まぁオズマやシェリルは絵に描いたようなマッチョであり、ウィンプである(っつーかまだウィンプですらない)ところのアルトやランカがマッチョに脱皮する様子を描いていくのかね?。ミハイルやルカは、まだマッチョになりきれていないルーキーであって、状況によってはいくらでもウィンプに転落しそう(っつーか、有体にいえば死ぬ)ではあるんだが…。
 しかし、そもそも人々がマッチョにならなければならない状況なのか?とか、マッチョが世の中を切り開いているんではなくて、マッチョが世の中を壊しているんじゃないか?とか、マッチョが手腕を振るって切り開くだけの広さを世界は実は持っていなくて、みんな狭い中気を遣いあって生きているのをマッチョがコタツの中で大足を広げるようなことをしているだけなんじゃねぇか?という視点はあんまりマッチョ側に無いんだよな。本当に環境問題が問題となっているのなら、それは世界が狭くなっている証拠なんじゃないかと思うんだが、その中で人を押しのけて自分がのし上がろうとするマッチョは害悪そのものでしかないと思うんですがね。
 もし、マクロスFがマッチョとウィンプの相克を描くのであれば、人々はみんなマッチョになるべきという結論は、無印を踏襲するとすればありえないということになるんだが、時代は変わっているしどうなっていきますことやら。