きょうのいきいきホットラインは

 加齢臭について。いやぁ、平和だわ。先週・先々週の憤りがウソみたいだ。やっぱりターゲット層が午后5時にヒマ(オレもそうなのか!)な人間なので、主婦が相手なんだったら家庭便利一口メモって感じが無難だわな。政治モノが話題だと、どうも売国政党寄りになっていけねぇ。なまじっかんHKを信じている層が一定いるのならミスリードになるわな。はっ、これが自民党宣伝部隊による“B層”向けオルグ行為なんだろう。
 加齢臭というのが、もう初めっから悪意のある表現だわな。自分もそろそろ出てくるころなんだろうけど、どうだろう?。今日の番組では食生活が肉食寄りになると加齢臭がきつくなるとか言ってた。あんまり気にするなと連呼していたが、それは逆効果だと思うがな。
 昨日のゲストも言っていたんだが、日本は潔癖が過ぎるわけで、それこそファブリーズの宣伝をCMではじめて見た時にはぶったまげたぐらいだ。なんでもかんでも脱臭という方向に行くと、そりゃ残る匂いは慣れるか気になるかのどちらかだろう。海外に行くとそういう潔癖なところがあまり無いので、町じゅうにいろんな臭いが渾然一体となっている。本来はそういう生活のにおいで満たされているのがアタリマエであるべきなんだろう。
 そういう状態だと加齢臭も数あるにおいの中の一つとなるわけで、子供にとっては昔なんかは働き手である父母より祖父母に面倒を見てもらうことが多かったろうから、「やさしい家族のにおい」として認識されることになっていたんではないかと思う。老人と日常過ごす機会が無い人間が突然相手にしなければならないとなると、歳をとった人間は優しくともきつくとも頭が硬くなっている事はよくあることなんで、当然人間関係において当惑することになるだろう。そうなると「いやなやつの臭い」とインプリンティングされてしまうわけで、これは不幸としか言いようが無い。
 努力して何とかなるもんでもなかろうし、じゃぁ老人との共同生活があたりまえに今この瞬間になったとしても、それこそ加齢臭も数ある臭いのうちの一つとなるには20年や30年単位の時間が必要だと思う。要するに気にする人間自体が老人になるまで待たなければならない。
 そういうわけで、どうも今週は穏やかで、んHK乙といった感じか。
 ラジオ聴取中、ふと思いついたのだが、というか何日か前に自分のことをちゅーねんと称したのだが、そういや中年という言葉を最近聞かなくなったよなぁと思う。Wikiの中年の項を見ると、

中年(ちゅうねん)とは成人として中くらいの年齢。すなわち壮年期を過ぎた頃から初老の域に入るまでを指す。

  • 一般的には40代頃から50代頃を指す事が多い。25歳(例により、23歳からの場合がある)〜30代については中年、壮年などと様々に言われ、一定しない。
  • 1998年度の国民生活白書「中年-その不安と希望」では中年世代を、おおむね40代〜50代と定義づけている。
  • 厚生労働省の一部資料(健康日本21など)では、幼年期0〜4歳、少年期5〜14歳、青年期15〜24歳、壮年期25〜44歳、中年期45〜64歳、高年期65歳〜という区分をしたものもあり、壮年期の定義も一定しない。

 うーん、自分が中高生の頃の認識と随分違うなぁと思った。たしか私が中年と聞いて思い浮かべるのはどう考えても30〜40代で、そういや二・二六事件の首謀者が30代で青年将校と称するのを聞いて、「30過ぎて青年はねぇだろう」と思っていたぐらいだ。終身雇用制度が健在だった時期、50代といえば企業においては管理職として重責を担う立場だというタテマエだったから、当然ある程度は枯れてなくてはダメで、そこは初老だとか「老い」の概念が入ってくると思っていた。
 で、中年のイメージとしては、やたら欲でギラギラしている、それこそ周囲の空気を読まずに騒ぎ立てるなど、いつまでたってもやんちゃ坊主で、働く男としてはそのくらいの元気があったほうがいいかもしれないが、ちょっと人間としては迷惑な部類だよなという感じだったような気がする。揶揄語であって、決して尊敬なり目標とするような羨望語ではなかったような気がする。で、今、自分がそういう歳になって見て、で、今中年の年齢に達している層を見回してみて、そういうイメージがほとんどないことに気がついてビックリした次第だ。もしかすると他の年齢層からは実は中年のマイナスイメージで見られていて、そういう視線に気付かないだけなのかもしれないが。
 で私が中高生の時の30〜40代は今50〜60代になっているわけで、あぁそうか、団塊の世代の気質を中年とよんでいただけなのかと思い至って、妙に腑に落ちる気がした。全員ではないんだろうけど、それこそ今では統計を悪用した印象操作として有名な少年犯罪の増加で話題になった、実は最近の少年犯罪の発生数よりはるかに団塊やそれよりちょっと上の世代が格段に多く…という例に見られる通り、今の50〜60代の人間は少年期から世を乱すお騒がせモノだったわけだ。それが中年期には好き放題やらかして中年の語を辱めるような言動をし、そして経営層になっている現在、仕事のやり方がわからず、単に若者を喰い物にして私腹を肥やしているわけだ。おそろしい。歳をとってもちっとも学習して無い。世の中を荒らすだけ荒らして自分勝手に振舞う世代でありつづけたわけだ。
 よくよく考えてみればやはり団塊やそのちょっと上の世代の人間の代表例として、まさに小鼠だの安倍だのが君臨していたわけだ。彼らの若い頃の放蕩ぶりはネットの普及で人口に膾炙するほどになった。うーん、若い頃から碌なことをしてなかったんだから、こうなることはわかっていたはずなのだ。権力を握る前に間引いとけよと切に思う。もう手遅れだが。
 まぁでも本当はその世代だって奥ゆかしい人間なり控えめな人間も、それこそ全体の数が多いんで、それなりにいるんだとは思う。なんで有用な人間が世の中を取り仕切らず、有害な人間が特権階級としてはびこるのか?。日曜日に本屋に行った時に、出世はヨイショが9割 (朝日新書 (075))という本を見つけて、ミもフタもねぇなぁと思ったんだが、自分が出世するためのゴマすりばっかりうまくて、反面本当にためになる仕事はできず、周囲への配慮もしなくて、やたら大声で自己主張をして全体を益体もないことで振り回す人間が上にいくという状況になっているのを見ると、ホント日本の病理は根深いなぁと。