きょうのいきいきホットラインは

 うーん、ゲストは酷かった。物腰はやわらかで、いかにも住民の味方って感じではあったが、安請け合いして人気取りをして、そのときは支持されるかもしれないが何年後かには財政難とかシステムクラッシュでダメになり、改革とやらをする前のほうがはるかに良かったという可能性が非常に大きい対応の仕方を涛々と述べていた。アナウンサーもゲストの支離滅裂さに半ばあきれていて、番組の最后では矛盾を引き出す質問を繰り出してゲストをイジってたしな。人気取りでもいいから全面的に住民の味方のフリをするのかと思ったら、役所の許認可権は絶対に必要なんて特権階級まるだしの発言もうまく引き出されていたしな。
 この人の主張はいわば「住民サーヴィス向上原理主義」であって、官と民とを厳密に分ける必要はないんだけど、コスト削減はある程度無視して住民サーヴィス向上を目指すべきと言ってよいかと。投書も民間委託マンセー派と慎重派にうまく区分されて聴取者の判断を促す格好になっていた。今日はんHK乙だな。
 今日も結局半分ぐらいしか聞けなかったんだけど、民間委託マンセー派の投書の一例として、図書館の管理が民間に委譲されて、ほんの貸し出し業務の際に丁寧に対応してもらって民間委託マンセーと言っていた。もうアホかと。そりゃ接客が丁寧がいいか雑がいいかと言われりゃ丁寧のほうがいいとは思うんだが、そもそも図書館は自分の借りたい本があるかどうか、検索はしやすいかどうかなど、情報集積所としての機能が優れていればいいわけであって、職員の対応でこっちの気分がどうなったかなんてものは優先順位が低いと思う。それこそ昔は本なんて庶民の手に届かない高級品だった時代があって、職員の対応云々より本に触れることが出来るだけでもラッキーということもあったのだ。もちろん時代は変わっており、それなりの変化がいけないというわけでもないんだが、それこそ捨て金感覚で本を買えるようになった現在、その金すらケチって図書館で本を読もうとする市民に対して必要以上にへりくだる必要があるとも思わない。もちろん横柄でいいという訳でもないが。それより絶版で入手不可能であるとか、あまりに値段が高すぎて個人では買えない本とか、アクセスしにくい書籍が揃っている図書館のほうが、より重要だと思う私は間違っているんでしょうか?。民間委託反対派は図書館職員の専門性云々ということを楯にしていたそうだが、自分は反対派を支持したいと思ったな。
 そういうところで民間委託をしたら、多くの人間に読まれる本ばかり、つまりベストセラーなんかが優先的に同じ本が何冊も買われ、ブームが過ぎると廃棄処分なんてことになりかねない。もちろん読む人間が極端に少ない専門書ばかり購入するのも間違っているので、そこらへんアクセスの多い本と少ない本の購入バランスは色々考えないといけないと思うのだが、公立の図書館職員がそれをやってないとでもいうんだろうか?。自分の住んでいる地域の小さな図書館ですら利用者の希望をとって購入の参考にしてたりするしな。民間委託をすると投資した金の効率を優先するから、どうしてもベストセラー志向になるだろうし、それは後まで読まれるような本であったらいいが、大抵はブクオフで10円で投売りされるようになるわけで、それならブクオフに並ぶの待てばいいジャンということになる。
 というわけで、住民サーヴィスに応え続けた結果、財政を圧迫して今自治体が困っているわけで、ここらへん実は住民自身が如何にコストを考えずに我欲を行政に押し付けてきたか?という視点が全くない。もちろん今日の投書の慎重派の意見にあるように、それを深く自覚して、行政におんぶに抱っこという態度は控えましょうやという提案をするような住民もいる。特にハコ物行政で、スポーツでも芸術でもなんでもいいが、一時のブームで住民の頭に血が上ってやれ行事を通じての町おこしだ!なんて舞い上がって、いざ何年かするとブームが去り、ハコ物の維持費だけが残るという例がたくさんあったりするんで、そういう「住民サーヴィスに何が何でもスグこたえるのが行政の使命」なんて考えを至上に持ってこられて、成功すればまだ正しかったともいえるが、判断間違いのほうが圧倒的に多いだろうと思うのだ。
 慎重派の投書にもあったが、公共交通機関を役所でやって欲しいというものがあった。国鉄を非効率だといって潰して、結局田舎が困ったわけで、地元の民間が業務をしていても、利用者が高い運賃を嫌って結局誰も利用しなくて、それでも路線維持のために税金で業者に補助がたんまり流れていたりする。それならはじめっから公的機関でいいジャンというわけだ。都市部では人数効果でそもそも民間でなりたつし、下手に官が関わろうとすると民業圧迫だという文句がつくしな。まぁ採算が取れなかったらいつでも逃げていいんだったら民間なんていとも簡単に地域住民を捨てるので、結局民間マンセーのひとは田舎がつぶれても構わないってことなんだろう。住民サーヴィス向上原理主義なら、不便な田舎の住民の要望に応えるために、民間が来ないから結局官でやらざる得ないということになる。
 まぁそういうわけで、官か民かという議論は実は不毛でしかないという気がする。自分はいつも主張しているつもりなのだが、民間であったとしても、民間のサーヴィスで何らかの便宜性が得られているのなら、それはそのサーヴィスを通じて社会的資本が構築されているということであり、それは同時に官的性質を持つと思っている。官のサーヴィスにしたって、先ほどの図書館の例をとれば、図書館を頻繁に利用する住民は利用しない住民に比べて「私的に施設を利用している」わけで、公務員は全体の奉仕者という法律にビミョーに違反するのだが、住民個人に対しては、「私的」性質を持つ。施設運用者の欲得や資金の出所が違うだけで、民も官も人々の役に立っているんなら、それは両方とも公共の利便性に適っているというわけで、官は無駄が多い・民はあくどいといって、末端で叩きあいをするのはすごく不毛である。
 しかし、今朝もずっと考えていたのだが、官から民へというのは量的に多いんだけど、民から官へとはほとんど言われない。言われる場合は先ほどの田舎の交通機関の例のように、民では採算があわないからとてもやってられないんで官でヤレという例のみ。それも採算があわないんだからそもそもそういう要望に対応するなと言われるのがオチ。結局なんで官から民へとばかりしか言われないのか?と言えば、話は実はとっても単純で簡単。それは官業の払い下げで一儲けしようという私利私欲にまみれた産業屋さんの理屈なのだ。
 官の払い下げというのはとってもオイシくて、設備投資やシステム・インフラ作りを全部国民の税金でやらせ、安く払い下げてもらうことによって初期投資を極限まで切り詰めて商売が出来るというものだからだ。払い下げてもらってうまくいかなくても初期投資が安い分懐は痛まないし、採算があわないからといって努力せずにほっぽりだしても誰も文句を言わない。うまくいけばすごく儲けモノで、例えば国鉄の例を見ればわかるとおり、一番しんどい用地買収をやらなくてもすむし、全部完成したものを採算がもうすでに取れるという実績が出ている状態で権限委譲なので、これほど金を使わずに仕事も全くしなくても金を生み出す仕組み全体を(法外に安く)手に入れられるわけだ。つまり。国民の血税で作られたオイシイ仕組みをドロボウしようとする輩がいて、そいつらがマスコミなどを通じて払い下げるべきだ!という気運を盛り立てているというだけの話である。儲けにならない業種は買わなければいいだけだしな。
 そういうわけで、そのドロボーが国内の特権階級か、外国資本なのかは皆さんで好きに想像していただくとして、そういうダましに引っかかることがないようにしましょうやというのが私の気持ちである。国鉄電電公社も郵便局も民間企業になってよくなったというのは唯の宣伝ですから。別に官のまゝであっても、サーヴィスは向上してましたって。それより金にならない事は一切してくれないのが民間であって、そこらへん融通がきかなくなっているのが実情なんでないの?。見かけとかに騙されすぎですよ。融通、いいかえれば“多様性”は確実に低くなっていますしね。NTTになったからといって料金は安くなったわけでもなく、ヤフーの進出でやむなくネット接続料金が安くなっただけで、一番あとに民業化した郵便局だって、ソッコーで局が減って料金大幅アップだしな。安く上がるといったって、それは末端の職員の給料が削られただけであって、逆にいうと(公務員だった人間が民間になって)従業員の給料を削ってサーヴィスが向上して、それがまわりまわって下層国民全体の給料の切り詰めに繋がっているという現状をどう認識するんでしょ?。モノを買うときに消費者が一番気にしなければならないのはモノの利便性のはずで、購入手続きのただ一瞬の従業員の人当たりのよさをそんなに気にしなければならないワケ?。
 というわけで、明日は住民の態度についてがテーマらしい。先ほども述べたし、実際に明日の展開を確認しなけりゃ判断はつかないのかもしれませんが、んHKの構成はうまかったと言うことで。