モノノ怪 第12話「化猫 大詰め」

 結局犯人も…。
 大体予想通りってトコですかね。見て見ぬふり断罪組は生きているという結末でした。刑事は関与がなくという設定。というか刑事と運転手は悪事には荷担して無いけど、しっかり仕事をして下さいということでした。
 前作が怪ということで、四谷・天守・化猫の3つだったのが、唯一他人としての断罪役の薬売りが登場する化猫の部分だけ取り出したというのは、結局世の中にはびこっている怪が断罪されずにのさばっている世の中に対してのメッセージということだという気がする。必殺シリーズがわざわざ復活までして今年放映されたのもそういう流れなんだろう。小泉改革という名の特権階級優遇システムの構築ということに対してよっぽど我慢がならないという現れ。
 さて、全体を振り返っても一貫した印象があって、わりと扱っている題材が日本特有の、どちらかというと陰湿な心のうちを扱ったものであることが一つ。絵は壮麗だが、それは日本の伝統的デザイン性を再現したものであってあまり物語性とのリンクは少ないということがもう一つ。詰め込まれているエピソードは少なく、ポイントがあるにせよそれは全体に薄められているという感じがすること。
 で、話が薄味なのは仕方がないのかなぁ…というよりはむしろ日本の話芸に従ったものなんかねぇという気がした。喫茶店からの帰りにんHK第一のラジオ極楽亭を聞いていたんだけど、昔の講談は人の紹介一つにしてもすごく長ったらしくて、武田信玄のことを紹介するにしても先祖代々延々とつながりを説明するし、合戦の場面でも鎧はどうだの武器はどうだのという説明がすごく長いということを言っていた。まぁ平家物語を説明するにしても、平家が我儘放題やって滅亡しましたで済んでしまうので、そりゃ田舎で講釈師がそれで話を終わらせたら、退屈でものめずらしさを期待している人はタマランだろうというわけだ。昔は紙芝居すらなかったわけで、見てわかるだろ的なメディアは殆どなく、話の中でディテールを述べて聴き手のほうでイメージを膨らまして、少ない内容を大きく膨らませてワクワクしながら聞いていたわけで、たぶんこのシリーズもそういう日本の伝統話芸のスタイルを踏襲したものだと思われる。絵が壮麗なのも、それは錦絵とか着物の柄が派手という範疇で、決して感心する動画だとか、写実的な風景ではなかったというのもそうだろう。スタッフには申し訳なく思うが、やっぱり展開がのろくてやきもきしたのは事実なんだが、それは現代のジェットコースター的展開に慣れた自分が悪いのであって、たぶん4〜50年ぐらい前だと、このぐらいのスピードがあたりまえだったのだと思う。
 そう考えてみると、ノイタミナ枠であることも考えに入れるとやはりアニメ視聴層の拡大というものを狙っていて、確かに年齢層が高めのほうにふってきているんだろうなと思う。たぶん今6〜70代が見てもあんまり違和感なく受け入れられるんじゃなかろうか?。題材的にも人間の情念を基本に、深く立ち入るためにはそれなりの思考力なり前知識が必要っぽくて、各人なりの解釈が可能になっているのも評価は高い。
 ただ、個人的には演出がかなりこけおどし的で、たぶんそこらへん制作側もどう受け取られるか承知でやっているのだとは思うのだが、ちょっとしらけ気分が漂ったのは惜しかったような気がする。まぁ歌舞伎と割り切れば受け入れやすいのだろうが、そこまでは期待していないというか。
 で実はそういうことを考えると名作相当ではあるんだけど、どうもアニメに限らずドラマもひっくるめてエキセントリックな作品、自称文化人的な層への訴求度は高いんだが、じゃぁアニメなんだけど評判だから見てみようかな?でも小難しいのはヤダなという層にはあんまり受け入れられないんじゃないかという気はする。結構評価ってのも難しいな。
 作画のレヴェルも高いし、クォリティは確かにいいんだけど、では全般見終わってみて面白かったか?というと微妙なところではある。ED後の薬売りの口上がなかったら実はおもろぐらいが適当なのかな?と思っていたぐらいで、ヘンな話、なんで最后の口上を聞いて、見ているこちらの背筋が伸びるほどの経験をしてしまったのかと自分でも不思議に思う。たぶんこのアニメを作る際のスタッフの気持ちが伝わったからだと思うんだが。
 実は次が待ち遠しいというほどでもなかったんだけど、見てみればそれなりに考えさせられた、そしてなによりアニメ視聴層の拡大の意図が伝わってきて、自分的にはおもろ+が適当でないかと思っている。結構難しいハードルをスタッフの皆さんは越えたと思いますよ。