ろみ男と樹里えっと 平井正穂訳

 この金(きん)をあげよう。こいつは売買を禁じられているお前さんの薬なんかよりは、人間の魂にとってはもっと危険な毒薬なんだ。この濁りきった世間でこのためどれだけ多くの人が殺されたか分からないんだ。だから毒薬を売っているのはわたしのほうで、お前さんのほうではない。(ロミオがジュリエットの(仮)死をききおよび、薬種屋から販売を禁じられている自殺用の毒薬を購入する際の台詞。)

 ロミオとジュリエットに目を通してみた。やはり当時の状況がよく分かっていないのと、わりと舞台の状況がわかりにくいので誤読しているかもしんないです。特にジュリエットの乳母の行動を何度か読み返してみたんですが、立場をコロコロ換える彼女の真意を掴みきれたかどうか自信がありません。当の本自体が手許に無いのでうろ覚えながらも思い出しながらうだうだと。
 舞台はヴェローナヴェネチアより内陸部の都市です。他にロミオの逃亡先も出てきますが一瞬ですので基本的にはここを中心に展開。
 登場人物なんですが、どういう風にわけたらいいんだろう?。
 エスカラス…ヴェローナの領主。パリス…エスカラスの親族。マキューシオ…エスカラスの親族、ロミオ派。
 ロミオ…いうほどバカ殿ではない主人公。ペンヴォーリオ…ロミオの友人
 モンタギュー・モンタギュー夫人…ロミオの両親。
 ジュリエット…結構気丈なヒロイン。
 キャピュレット・キャピュレット夫人…ジュリエットの両親。ティバルト…キャピュレットの親族。乳母…ジュリエットの乳母
 ロレンス神父…主人公たちを結婚させる聖職者。ジョン神父…ロレンスのお使い。使命は果たせなかった。
 家として中立派である領主(実はキャピュレットの財産目当てだった可能性あり)&教会関係者とモンタギュー、キャピュレットという3つに別れるのとは別軸に、“ロミオ”に親しい人物群と“キャピュレット家”に親しい人物群に分けられる。“ジュリエット”は単独で存在しているのが特徴的だ。
 あらすじがあったので、リンク先を参照していただくとありがたい。
 最初、面白いのはロミオはジュリエットに対して前知識が無く、ロザラインという女性に恋をしていたということだ。ちなみにキャピュレットはジュリエット抜きでパリスに嫁入りの話をすすめている。キャピュレットとモンタギューはいがみ合ってはいるものの、モンタギュー夫人はいきり立つ夫をなだめているので、争いを嫌っていたように思われる。キャピュレット自身は宴会に紛れ込んだロミオに対して冷静に対応しており、むしろモンタギュー憎しといきりたつティバルトをなだめている。まぁここでいさめられたティバルトが逆ギレすることで、後々の悲劇の根本原因を作っている。で、主人公同士が一目ぼれ。
 有名なバルコニーのシーンの後、キーパーソンである乳母が登場する。乳母はジュリエットの使いをしにロミオのもとに赴く。もとよりキャピュレット家万歳の彼女であるが、ロミオの誠実な態度と袖の下で鼻の下が伸びている。ロミオの返事をジュリエットに伝える時に焦らす様子が笑いどころなんでしょう。
 次にロミオとジュリエットは結婚するのだが、その場面自身は描写されず、いきなりその直後からティバルトとロミオとその友人(マキューシオとペンヴォーリオ)との口論になる。ロミオの誠実な態度を踏みにじったティバルトにいきり立ってマキューシオが剣を抜き、返り討ちに遭う。友人が殺されたのにいきり立ってロミオがティバルトを殺害。領主は本来ならロミオを死刑にするところを追放で済ます。
 乳母がその時の様子をジュリエットに伝えるのだが、わざとティバルトがマキューシオを殺したことには触れず、ロミオがティバルトを殺したことのみに触れる。それでもジュリエットはロミオ憎しとはならないのがミソ。ジュリエットはキャピュレット夫人(実の母)にはロミオが好きと伝えている。キャピュレットはこの機にパリスとの結婚話を強引に進めようとする。ジュリエットは父にはロミオの話は黙っている。冒頭でも触れたが、キャピュレット自身はジュリエット本人の気持ちよりは家名を重視する父親に描かれている。
 乳母はロミオのところにも行くのだが、ジュリエットがロミオのことをなじっていると伝えるのだ。それでもロミオが心変わりをしないのがミソである。
 まぁあとはすれ違いの場面になっていくわけなんだが、ジュリエットが仮死状態のときにロミオはともに死のうと墓をあばきに行くのだが、そこで結婚を反故にされて怒り心頭のパリスと諍いを起こし、パリスを殺害する。そしてロミオ自殺、息を吹き返したジュリエットが死んだロミオを見て後追い自殺をする。あとはロレンスの証言やロミオの手紙・従者の証言、パリスの従者の証言などで観客が見た真実を舞台上のキャラ全員が納得して両家の仲直り、ENDとなる。
 結構感心したのは、最後に観客も作品中の生き残ったキャラクター全員も真実を共有して終わるところと、領主側被害(パリス・マキューシオ)とモンタギュー家被害(ロミオと彼の死で卒倒して死んでしまうモンタギュー夫人)とキャピュレット家被害(ジュリエットとティバルト)がそれぞれ二名ずつ平等に失っているということである。感情を煽るためにどちらか一方を悪者にしたりしていないし、貸し借りも発生しないよう調整をつけてあることだ。
 あとは殺人の場面で結構観客が納得できるような誘導がなされていることかな。ティバルトはロミオが止めたのに罪のないマキューシオを殺してしまったのだから、ティバルトがその報いを受けるのが当然。ロミオは罪のないパリスを殺したのだから、ジュリエットのそばで命を絶つのは当然。…といったふうに、観客に余計な同情を寄せられないよう因果応報にしたがって処理されている。
 キャラクター一人一人に注目すると、ティバルトあたりが瞬間湯沸し器っぽいものの、割と物分りはそんなに悪くない&行動面での負い目を持っているという善悪両面性をもっており、唯一の例外がジュリエットの高貴性ぐらいかな。まぁ主人公を一人挙げよといわれたら、それはロミオでなくジュリエットだろう。舞台の花ということで男性にも受けがいいし、女の観客も自己同一化しやすいキャラクター作りとなっている。萌えキャラとはやっぱり一線を画す。
 読み始め頃はやはり当時の風俗を理解していないと笑えない記述が多く人間関係を整理するだけで精一杯なのだが、人殺しが連発する段階になって物語がドライブし始める。どうしてもバルコニーの場面を思い起こすのだが、ロミオとジュリエットが一目ぼれした直後にいきなりバルコニーになるので、正直ポカーンである。もしかすると昔はあの場面は結構笑いをとるところだったのかもしれない。
 まぁそういうことで、現在放映中のロミジュリとどう違うのか確認するために読んで見たのだが、やっぱりぜんぜん違う。キャラクターたちが市井の人たちと触れる場面は冒頭の薬種屋のところぐらいだ。高利貸しも人間として蔑む存在ということが台詞の一部で出てくるだけで、実際に高利貸しが役として現れる場面なんて無い。当然義賊もそれを助ける医者も民を虐げる役人の姿も無い。
 原作と違うから「こんなのロミジュリじゃないやい」というつもりは毛頭ない。シェークスピアも庶民に受けるように世俗の感情を汲み取ったり社会の不条理なんかを織り込んでいたりして、単なる貴族どうしの悲劇で終わらせていないように、アニメスタッフも現代のいろいろな要素を組み込んでいると考えている。活劇として期待はしてますよ。とまぁ整理をしてみた。