キャッツ・アイ 第20話 恋人たちのホリデー

 おぉ、こういうのに弱いんだよ。
 なんつーかね、多分原作者もアニメスタッフも、これのあとにバブルが来て、日本人の価値観ががらっと変わってだよ、この作品が古きよき時代として回顧されるものになるってことは夢にも思わなかったと思うんだよ。もちろんすべての作品は古くなってしまうわけで、それはどんな作品にも、今つくられている番組すべてに言えることなんだけど、いわゆるPoint of no returnとしての決定的な道標になるとはという驚きはある。泪ねぇの役割は、近所の世話焼き婆そのものだし、性を回避するのではないが、あからさまにするのは恥だという文化がまだ残っているとか、乱暴ものの後輩でも年上にたいする敬意を忘れていないし、というか人懐っこいし、先輩として後輩に範を示すとか思いやりで接するとかな、そりゃ本音はあろうけど、美しき予定調和の世界が時代を超えてというか連続して残っていたのが'80年代の終わりまでなんだと思うよ。課長も内海刑事を居なくて仕事がはかどるとか言ってはいるが、かといってあの様子だと査定を下げるとか、使えないからクビだとかという雰囲気は全然感じられない。そしてそれはコンピュータがあった時代で金を右から左に動かして利益をあげていた時代ではなく、あくせく体を動かして地道に稼ぐっていうことで社会がまだなりたっていたんだよな。
 今は権力をかさに来て人を顎でこきつかって、経営層は自分が苦労することなく人の上がりを掠め取ることで莫大な利益を上げ、そしてその利益は社会には決して還元されない。顎でこき使われる層は手短に言えばワーキングプアなわけですよ。3年派遣で雇ったら正規社員にしなきゃならないから半年で契約解除とか、まだ経営層がそれなりの努力なり工夫なり下積みなりしてればわからないでもないが、自分が苦労することなく親からそっくり受け継いだ利権をつかってめちゃくちゃしているわけで、一体同じ人間をなんだと思っているんだと。現首相は現場の経験が2年ほどしかなくてあとは父親の秘書をやっていたらしく、親の基盤を受け継いだだけだし、経団連会長も親のコネで経営層になったらしい。食事を三通りつくらせて二つは捨てさせていたとか噂に聞くのだが、たった一回り上の世代が節約・倹約といっていたのになんという無駄ぶり。それでやっていることが弱者いじめなわけだから、それこそ社会の縮図といわれている学校現場でなぜいじめが止まらないのか、そりゃ首相や経団連会長は自分のやっていることがいじめとわかってないから、わかるはずもなかろうな。美しい国というのはこういうことなんだろうか?。どうもこのキャッツ・アイの世界のほうが美しいと思ってしまうんだが。
 若い二人は逮捕されていたが、もしかするとキャッツが宝石を戻すとか言っていたから、盗んだのがキャッツで、盗まれた宝石が戻れば、キャッツの犯罪ということになって、その後訴追を受けなかったのかもしれない。男のほうがどうせこうなると悟ってはいたので、自分のやっていることが悪いことだとわかってもいるし、反省もしているのだろう。どこかの大臣のように自分のやっていることが悪いことだとわかっているのに、国民を騙すだけでなく自分自身も騙して悪くないと主張する様子に比べるとよっぽど昔の小悪党のほうが美しい態度だと思う。