われらが藤原直哉の出番ですよ。

 先週の木曜日か金曜日に朝のんHKラジオ6時台のビジネス展望だったかに出演してました。まぁロハスとやらが根底にあるんでしょうけど、今までの日本経済の発展は物を作って売ることばかり考えているという動脈の部分だけであって、作ったものを以後どうするかとか捨てるときにはどう処理すべきなのかという静脈の部分がほとんど考えられてこなかった(後追いであった)と言ってまして、なるほどと思った次第。
 今しがた聴いたのはQCのお話。藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2006年10月24日 QC・品質改善活動が危ない: 藤原直哉のインターネット放送局
 団塊の世代が品質管理を背負っていたので、彼らが退職してしまうとそのノウハウが胡散霧消して大変になるんじゃないか?というもの。ここでやっぱり私が第一に思うのは、団塊が次の世代に伝えていなかったのか?というものだが、起こりうる事態としては納得。携帯電話が普及してそれこそ端末の扱いには熟練しているんだけど、端末がどういう原理で成り立っているのか?端末でなくシステムとしてどう社会的インフラとして機能しているのか?という事には全く考えが及ばないし、考えようともしない世代が拡大再生産されているのを目の当たりにして、深く納得するのでございます。まぁ多分移動電話各社のサポートセンターあたりには考えられないような使われ方をした端末の処理に追われている末端の作業員・店員の嘆きもございましょう。もしかすると従業員ですら構造がわかっていなかったりして?。そして仕事中関係ない用事でパカパカ端末を扱っている同僚なんか見て、危機はそこまできているんだろうなと思う。知識も途中階を基盤としてしまうと深く潜れないんだよな。基礎階から上っていくだけだと想像力さえあればどのようにも応用が可能だし、トラブルがあったとしてもいったん地面に降りて別ルートを捜せばよいので時間はかかるかもしれないが対応できる可能性はグンと増えると思うんだよな。下層階での瑕疵は上を見ながら捜すことが出来るけど、案外上層階から基礎部分の瑕疵は見つからないもの。応用から入った人には品管はしんどいと思うな。まぁ以前放射性物質をバケツで取り扱っていて間違えば大規模な原発災害になりそうだった事件も30代の職員が原因だったようなので、自分の世代ももうダメなんだろうなとは思う。
 品管を何とかしようと思ったら、長期雇用を前提とすべきというのにも大いに同意。まぁ団塊が退職して大変なことになるって言っても、その退職する団塊は結局退職時まで解雇されなかったというだけだろ?。そういうラッキーな人間が若い者を使いもんにならんからと気分で解雇してちゃぁそりゃ定着するはずもないわな。戦後の植林事情の激変で花粉症などの人災が今の我々の世代を苦しめているわけなんですが、たとえば山の管理だってじいちゃんの植えた木を孫が伐るといわれるぐらい時間がかゝることが昔は言われていたわけで、山のどの場所にどの木を植えればバランスもよく実入りもいいものになるのか?というのを少なくとも50年先を見据えて仕事をしていたわけなんです。それが家屋需要にいいからとスグに現金になりそうなスギ・ヒノキに熱病にかゝったように林業従事者がいっぺんに群がったおかげでこの有様ですよ。値が暴落してというか売るに売れないので金になっていないし、生態系を狂わせただけでなく、人間にまで被害が及んでいるらしいし、手入れする人も少ないから商品になるスギとかは案外少ないらしい。50年前の人間が欲に駆られて無茶をしたせいでわれわれが苦しめられているっていうか。まぁ現在の政権・経営陣のおかげで何十年後までも継続して日本がむちゃくちゃな状態になるってことを覚悟しとかなくてはという話にはなるんですが。