ARIA The NATURAL 第17話「その 雨降る夜が明ければ…」をうだうだと

 作画的には水面の表現がだいぶこなれてきたかなと感じます。陸にあげたゴンドラから水が滴り落ちるのを真下から見上げた描写もなかなかでした。ただ人物には手が回っていないというか、結構崩れを感じた。せっかくのアテナさんのアップが今一。静止画の口パクでいいんだから、せめてアップ画面は整えて欲しかった。とはいっても若い頃の横顔とかは悪くなかったし、写真を撮るときにスリットを強調したポーズをとるのにはドキッとしましたよ。いやぁなに呆けているんだろ。
 アリシアがグランマに手ほどきを受ける場面を見て、そのころのアリシアは一体何歳なのだろうか?と思ってました。とりあえずARIA世界の各キャラクターの年齢に関してのサイトを探してみたらありましたよ。
 http://mahora.sblo.jp/article/683584.html
 このリンク先のサイトさんの表で言うところの一番下段が順当なところでしょうね。灯里がアリシアに手ほどきを受けている場面が灯里15歳のときだろうから、これはまったくの私の思い込みなんですが、アリシアはそれより若く見える。ウィッチブレイドの梨穂子ほどではないにせよ、仮に12歳ぐらいと言われても違和感を感じません。というか、あちらの金髪のねーちゃんはローティーンを過ぎると一気に老け込んだように見えるんだよね。むしろあちらの人がいうように、ハイティーンぐらいだと日本人のほうが幼く見えると思います。まぁ整理もせずになんですが、はてなキーワードARIA The ANIMATIONにもある2301年のときに灯里は15歳だと考えるのが妥当なんだろうか。ARIA The ANIMATION開始時、すなわちアイと会った時には、暁は知っていたけどアリスには出会っていないから16歳と考えたほうがいいのでしょうか。リンク先ではARIAサザエさん時空と結論付けられておりますが。
 こちらside=2(2006-07-16)のリンク先のサイトさんだと、月間ウンディーネからの引用で、アリシアがプリマになったのが2297年で、そのときの年齢は15か16と考えられるので、確かに入門の時期は12前後と考えても無理はないかな。灯里が3年経ってもプリマになっていないし、グランマの教育方法が優れているからって2年で一人前になれるとは考えにくい。うゎ、本当に12前後で入門かよ!。現代の日本では考えられないよ。ぜったい虐待だって騒ぐ層が出てくるよ。なるほど、スタッフもここまで考えて幼さを表現していたわけね。
 そう考えてみると、グランマがむしろアリシアに対しては娘のような接し方をしていた描写であったのは納得がいきます。たぶんグランマも伝説のウンディーネとして現場に出て稼ぐよりは会社の経営や後進の指導に力を注いでから引退したと思われます。まぁ最後の何年かにアリアカンパニーには他にどんな従業員がいたのか気になるところではありますが。
 対して、アリシアの灯里に対する指導は似ているようでありながら対極にあると感じました。もちろん三大妖精として、アリアカンパニー唯一の稼ぎ手として仕事(と経営)に注力しているのですが、かといって灯里の教育に手を抜いているという感じは受けない。もちろん灯里自身が人の手を煩わせるような娘でないのも大きいとは思います。藍華が姫屋の一人娘にしては落ち着いていないように見受けられる(自覚がないわけではない)のと、アリスが技術はあっても仕事人としての自覚はぜんぜん足りない…すなわち他の二人が他人の手を煩わせる部分をもっているのにくらべると、アリシアは灯里を信用していいというところはメリットでしょう。というか、稼ぎ頭が自分ひとりなのだから、灯里のような思春期特有の難しさが皆無な娘でないとそもそも雇えないとは思うんですけどね。
 どうも今回の話でグランマがアリシアに対する温度とアリシアが灯里に対する温度には微妙な質の違いが感じられてなりません。グランマの接し方は包み込むという感じがします。前で述べたとおり親というイメージですか。ただ、悪く言えば完全に信用はしておらず、昔の親のように責任は自分がとるという感じも受けるんですよ。アリシアの接し方はグランマと同じように余計なことを言わずに温かく見守る部分は一緒なんだけど、違うのは灯里に対して親の立場ではなく、むしろ近代的個人としてあくまで相手を一人前に見ようとしているように思えてなりません。ま、社会のルールはお互いわかっているんだから、自分のことは自分でやれよって感じですか?。あんまり相手に深く干渉しないっていうか、いや灯里は自己完結してるんで他人から干渉されても自分の世界の中で処理してしまう娘ではあると思うんですよね。うーん、なんていうか相手は灯里とのやりとりを楽しむつもりで接しようとするんだけど、灯里は自分の世界の中で完結してしまうという。かといって他人を不愉快にするわけでもないので相手はあっけにとられてその状況をそのまま納得せざるを得ないというか。まぁくどくど言わなくても、天然の一言ですんでしまうということではあるのですが。むつかしいよねぇ、女のややこしさを持っていないからといって安心できないわけですから。視聴者としてはアリシアと灯里が井戸端会議的会話で勝手に盛り上がる場面を見せ付けられることがないわけですから、ありがたい話ではあります。
 まぁなんつーか、後進の指導に関してのグランマとアリシア(というか教えられる側としてのアリシアと灯里)の対比は、なんか家庭や社会が次世代を育成するにあたって、昔と現代の教える側としてのあり方の変化に通じるものがあるんだろうか?と思ったりする部分があって、妙に考えさせられました。むしろ旧いやり方で苦闘しているのは晃だったり、特殊事例にはなるけどアテナ*1だったりするわけです。灯里が規範意識をしっかり持っているからいいけど、そうじゃなかったら大変だよ〜。世代間の断絶を痛切に感じながらも、それでも自分を押し殺して灯里に接するアリシアの気持ちってのがありそうで怖い。実はわずかにしか読んだことがない原作漫画のイメージからはそれを感じないんだけど。

*1:エジソンとかアインシュタインを想起する。