ウィッチブレイド 第11話「危」

 もし玲奈が梨穂子の実母だとすると、鷹山は実父なの?。
 別段不思議でも不自然でもないのだけれど、親子の関係性を描いてきたのに戸惑っています。いや、この作品の最重要テーマなんで、こういう展開になるのは当然なんですけどね。
 もちろん玲奈が梨穂子の実母だとするのが前提なんですが、もしそうなのだとするとマサムネがあんなに梨穂子にこだわる根拠はなんなんだろう?というのが一つ。親子関係というのは錯覚だというものなのだろうか?。別に車内がどんなに暑くなるのかに思いが到らず、パチンコに耽って実子を炎天下の車内に置き去りにして殺してしまう母親がいる時代ですが、そもそも子供を思い遣るのに血の繋がりは関係ありやなしや?というテーマは昔からあったわけで。捨て子にされても育ての親より生みの親を求めてしまうドラマも、これまた昔からあったわけでして。というか、そういうドラマは一体何を訴えたかったのか未だにようわからん。やっぱり育ての親よりも血の繋がりだよね〜と視聴者および読者に同意を促すのが目的だったのか、育ての恩を捨ててまで子を捨てるような無責任な親をそれでも求めてしまうってどうよ?と疑問を投げかけるのが目的だったのか?。それこそいろんなドラマがあったはずなので、基本的な構成は変わらないまでも、その物語の独自性に注目させるものもあったとは思うんですが。
 そして、この作品ですよ。昔の構造を下敷きにしながらも、現代性をどうおりまぜてくるのか楽しみではあります。現代の家族の関係性は昭和中期まではあったと思われる農村の家族形態*1、もしくは江戸時代以来からの長屋小家族*2を舞台の初期と見なすと、明治後期から大正より現れ始めてくる都市生活をする核家族*3を経て、いわゆる個人主義というか地域との関係性をほとんど貨幣に置き換えて一元化してしまう現代の結束線無きネットワーク(普通そういうのをネットワークとは言わないのだが)ともいうべき浮き島家族*4に到るにつれ、どのような物語を見せてくれるんでしょう?。
 でもなんていうか、梨穂子は視聴者が絶対悪感情を抱かないような思い遣りのあるいい娘だし、今話のように歳が一番若いのに他人との関係性を一番持っているような描かれ方をしているんだよね?。そしてそれは昔のタイプの人間のように思えるんですよ。そして梨穂子の親世代のメインキャラクター、つまりマサムネ、玲奈、鷹山(カメラマンも入るかな)はむしろ今風の、つまり他人との関係性を一番感じさせないような描かれ方なんですよ。今回のマサムネの「せめて金だけでも残してやりたい」という台詞に見られるように、貨幣に一番とらわれたむしろドライな描かれ方をされてます。まぁ大人なだけに感情に溺れすぎない冷静な描かれ方ともいえますが。
 ただEDに見られる変身後のマサムネと梨穂子が抱き合う場面になんかスタッフの意地の悪さを感じますよ。嫌な感じではないんですけどね。アレは梨穂子がマサムネを選ぶ場面なのか捨てる場面なのか判断がつきかねます。まぁこれだけマサムネと梨穂子の触れ合いの場面を見せ付けられると、あれが別れの場面だとはとても思えないんですけどね。とはいえ、繰り返しでうざいとは思うんですが、あくまでマサムネが梨穂子の実母ではないという前提ですよ。やっぱり実母だったという展開もありうるのでそのときはそのときで。というかあれやこれや想像をめぐらせてくれる作品ってやっぱりいいですね。

追記というか言い訳

 エントリーをUPした直後読み返してみたんですが(というかUP前に読み返せよというツッコミは全く正しい)、分かりにくい表現もありますな。いま酒が入っているのでご勘弁を。また書き直すかも知れません。22:33

*1:家族内部に複雑なネットワークを持つもの、もしくはそれらが他の家族ともネットワークを構成するもの

*2:基本的には核家族なのだが、家族同士はネットワークを構成するもの

*3:家族内部の関係性を重視するもの、家族間のネットワークは注目されないか、あまり重要視されない

*4:経済的な依存関係はあってもむしろ家族の構成員同士は孤立しているもの。というか時代が進むにつれホントに個人が孤立していっているように思える。もちろんそれを可能にしたのは貨幣経済の発達だったりするのだが。