なんか変

 引用文だけを読むと「安楽死」を決めるのに周囲の状況に左右されてしまって主体性がかえって無いようにも思えてしまいますな。「イマジナリーな領域に関する権利」にも関係することなんですが、重要なのは本人が判断材料として状況を収集・整理する機会が必要であり、もう一度それまでの自分をリセットして、ありうべき自分を想像する時間が必要ということでありまして。もちろんそういう機会が与えられたからといってよりよい判断がもたらされるわけでもないし、他人がそこまで配慮する必要が果たしてあるのか…もちろん緊急性の問題もありますが…それは実現可能なのか、やっぱりツッコミの一つも入れてはしまいましたが…。