交響詩篇エウレカセブン 第9話「ペーパームーン・シャイン」

 うーん。スターシップ・オペレーターズが終わったらアニ感も終わりかと思っていたんですけど、結構書くことがあって不思議です。そうはいっても気が向いたときだけなんですけどね。
 前回、もう軍との取引をしないんだろうかとか言ってましたが、本当にそうなりそうですね。平穏な日々を見せておいて、そこからの脱却を図る。レントンがつまらない日常を抜け出すためにゲッコーステートに入ったように、ゲッコーステートも日常から抜け出ていくようです。明かされるエウレカの過去。うーん、これもエマの話の展開とリンクしているのか?
 さて、エマのところでも書いたのですが、メインではないにせよ、理解力のない子供に理屈や道理を叩き込むにはどうすればいいのかというテーマが提示されております。エマでは、子供に理を尽くして諭しているわけなんですが、エウレカではホランドレントンをいきなり殴りつけて叱っております。
 状況にも左右されるし、子供の性質(先天的なものから後天的なものまであり)にも影響されるのですが、社会のありようとしては実は後者の方が正しいのです。理を尽くして説明しきれるものではありません。昔、人殺しがなぜいけないことかを説明できないという話題がありました。物事を突き詰めていくとどうしても納得させられるだけの説明は不可能です。物分りのいい子供ですら「なぜ」を突き詰めてしまうと納得させられるとは限らないのですから、物分りの悪い子供だともっと大変です。自分に都合のいい事柄だけを抜き出してきて、理論武装してしまいます。実は理論武装なんて語もチャンチャラおかしくて、ダブルスタンダードならぬマルチプルスタンダードは平気でするでしょう。矛盾を指摘しても、もとから矛盾していることがわかりませんから、理解できないことは拒否。実は子供に限らず、団塊を嚆矢とする大人社会がそうなってしまっているからこそ、子供に投影されてしまうのですが。まぁ小難しいことをいわなくても物事はずっと単純で、そもそも子供自身に理屈だけでなく道理もわかる能力があるのならごねたりはしないだろう?ということなんです。馬鹿には馬鹿なりの処遇を与えないと勘違いするだろう?ということなんです。物事を単純にしたところで、大人社会が馬鹿標準で出来上がってしまいましたのでなかなか難しいところではあります。
 フィクションだから真剣に相手するのもばかばかしい限りです。ウィリアムが素直に父親の言を受け入れてしまったら物語はそれで終わってしまうので、そういう流れはもともとありえない話です。レントンだって最初に謝ってしまったら、逃げ出す途中で偶然おばさんと再会したりすることもなかったし、その後にエウレカの過去を知ることもなかったわけなので、これもやっぱり話の流れ上こういう展開にしなくてはならなかったわけです。
 前にもあったように、子供に対する適切な接し方について、問題を投げかけている作品はエウレカセブンではあります。視聴率が悪いようですが、それもそのはずエウレカセブンの対象としている年齢層がまさにレントンエウレカの子供たちと同世代なんだろうから、彼らにとっては説教くさくてたまらんでしょう。特に現代の子供にとっては。