第7話「スターダスト・メモリー(前編)」

 レンナの葬送シーンより。テレビ放映シーンの抜き出しという形になっています。もちろん誰に向けての報道番組なのかというのは今まで推測してきたことに当てはまっているように感じます。
 前半は主に王国側とアマテラス側の対比の連続です。分かりにくいのですが、アマテラスの発言を受けて王国側の議論がなされ、王国側の発言を受けてアマテラス側の議論がなされるというキャッチボールの形になるべくなるように作られていると思います。例えば、エルロイ艦長の自軍を3:1にわけるという発言の直後のアマテラスの画面では実際にその戦法のシミュレーションが行われていたりします。議論が行われているように見えて実際には硬直した戦法の再確認が行われているだけの王国側と、いろんな場面を想定してシミュレーションを行い戦術の最適化が行われていくアマテラス側が描かれていきます。奇麗事ばかりで稚拙なやり方を現場に押し付ける現代の病的な社会と現場からの改善策をシステムに取り込んで発展していった高度成長期の社会とを暗示していると思ってしまいます。(なお、高度成長期とは高度経済成長期の日本だけを指すのでなく現在もその手法を取り入れ発展しているものも含まれると思います。)別に敵側を硬直した思考の持ち主として描くやり方は本作品には限りませんが、だいたい大きな組織に共通して描かれる傾向がありますね。
 後半からはアマテラス側からシュウ側への戦術の開示およびそれへの同意場面が描かれます。ここでの間の取り方が適切であるために緊迫感と期待感がいやがうえにも盛り上がります。シノンの説明が「自分達に好都合な場面が勝手に設定され、それに即した戦術が展開されている」可能性があることは否めませんが、折角前半で繰り返しシミュレーションが行われているおかげでそれなりの説得性が生まれています。あとは今話最大のの見せ場「われわれのデータは実戦に基づいたものです。」がうまく使われていることでしょうか。前半に実戦経験豊富なエルロイ提督の意見が無視されていたことと、うまい対比が行われています。優秀な指揮官は予測外の事態が生じても十分対応できるように、第2第3の策を考えているものです。シノンにその対応策がないかのような描き方ですが、それはむしろこの場面に集中させるための演出と考えたほうが良いでしょう。そのあとの場面も無駄な台詞が削ぎ落とされているためにほっと一息つくものの緊張感が持続しています。
 最後はアマテラスでの戦闘準備場面が描かれます。サンリの気持ちに気付いていなかったのはタカイ一人だけだったという以前の描写に対応して、シノン達の描写が行われています。だから直後にタカイの戦闘準備場面があったのだと思います。スパイクスの「いい絵面」に対応して発進場面が描写されて次回に続きます。