恋と嘘 第10話

 前回でそういう気がしてたけど、やっぱり五十嵐が主人公の端末にウソの政府通知を送ったのですか…。
 まだ確定ではないかもしれないが。とはいえ、矢島と五十嵐のやりとりで、矢島の言ってたことは大抵は正しいとは思うんだが、それでも政府通知に間違いはないというのは大人の割り切りなんかネェという思いが。本当のところ未だに悶々としてるわけでしょ。政府通知の通りにしてれば、もし夫婦間でうまくいかないことがあっても政府が尻を拭ってくれるだろうから、わざわざ自己決定権を行使して自己責任という形にするのもリスクが大きいわけだしな。
 しかしなんだな、大人になると、うまくいくと思って選んだつもりが全然そうならないことも多く経験していくわけで、もちろん初恋を貫き通してなおかついつまでもその気持ちが衰えることもなくうまくやっていくカップルもいるんだろうけど、恋愛以外にもそうそう計画通りにはいかない。それをせいぜい高校生になったばかりの歳かさのキャラクターに、これが本当の気持ちだとか断言されてもオイオイとい思うしかないわけで。五十嵐にフォーカスを当てゝ見てみれば、ちょっと世の中冷笑気味に見ていた厨房が、偶々人の見せる違った顔を観察したぐらいですべてわかったような気になっているようで、思い込みも甚だしいというか。いやまぁそれまでのあり方からすると人生経験としてよい一例を見ましたねぐらいには思うが。
 とはいえ、人間が生きていく営みをまるで機械が与えられた仕事を淡々とこなすってことの集合体だと考えるのではなくて、人には大切に思っている気持ちというのがあって、そういうものゝ重なりが社会を作っていると考えたら、別に主人公周りだけでなく矢島や五十嵐の思いだって社会を構成する要素なのであって、そういうものをドラマとしてこう目の当たりにしているのだと考えると一概に若気の至りだと断じても面白くないというか。大人の事情があるからこそ現実はいろいろな妥協が必要なんだが、そうではなくてそういう事情を取り除いて純化した結果リアリティは取り除かれるんだけど、だからこそ主題そのものに対して突き詰めることができるってことだろうし。
 この話を単に頭の中身が恋愛で多くを占めているであろう中高生向けに作られているというよりは、例えば高年齢層であれば主人公達を見てかつて若かった自分を思い出して、それも大切な想いってのはこの作品では恋愛として取り上げられてはいるが別に恋愛に限らずそのとき視聴者が大切にしていたものであればそれに置き換えて視聴しても十分に用に足るわけで、そのへんはなんとでもしようがある感じ。そしてかつての自分の選択したことがやはり正しかったとか、やめといたほうがよかったとか、結果と付き合わせながらだとまた趣も深いわけだし。若い層だともしかして自分もそういう選択を迫られるのだろうかと不安と期待のないまぜになった気持ちで視聴できようし。
 しかしあと2話か〜。ちょっと名残惜しい感じだな。原作は続いているようだし、最終回ですべての決着はつかないからどのへんが落ち着きどころなんだろうか?ぐらいかな。身も蓋もない話をすれば、結局のところ主人公は真田としばらく付き合って目移りしたんでしょぐらいの話なんだよね。そうじゃなかったら今まで提示されたことから判断すると一刻も早く主人公は政府通知を破棄して高崎と結婚するという決断をしたらそれで各キャラの傷が広がらずうまくまとまる(それが幸せな結婚がずっと続くという結果になるかどうかはわかんない)わけで、しかしそういう話にしたらドラマにならんでしょという。