天使の3P 第9話

 超展開?。
 ちょっとこれは厳重に前回まで秘匿されていたから仕方がないかなというところ。なんつーか、前回まではすべてがミスリードであって、こんな話が隠されているとはちょっと思わんわな。とはいえ、因習設定だの、絶海の孤島で島おこしの不自然さは隠せないのでなにかあるんだろうなぐらいには思っていたけど…。
 いろいろツッコみどころはあるんだけど、そういうのをすべてふっとばしてのポイントはなんといっても「人を救うことによって自分も救われる」の倒置。前にもひきこもりの解消には、他人の支援を要する…ってのは筋が悪いというのを述べたが、これも同じ構造。まぁ響は既にひきこもり状態から解消しているわけなんだが、今回はそれより一歩進んでいて、霧夢を助けるために凄く押しの強い性格になってる。すなわち彼の成長を示しているわけで、このタイミングでこういう提示をしてきたということからもやはり本作のテーマはそこなんだろうなと思わざるを得ない。
 彼自身は潤・希美・そらの音楽によってひきこもり状態から脱したという経験があり、今、自分の音楽を絵で支えてくれた霧夢が過去の自分が陥っていた状態と同じになっており、しかも自分を連れ出してくれた面子がそばにいるわけだ。そりゃ使わない手はないというものだ。天岩戸の構造はかつては自分が、そして今は霧夢が陥っているという意味では同じ構造であるというのが心憎いところではある。あとヨソ者であるからこそむしろ強引に主張すべきというのも希美の話で見られた構造。そのへん話を重層的に積んで主人公を成長させているから結構胸にクるものがある。
 なんというか、響に焦点を合わせると、彼は学校から逃避するというだけで別にひきこもりになりたいと思っていたわけではないし、言い方は変だがひきこもりになっていたときも学校に行けないだけであってそこから脱したいと切望していたわけでもない。しかしそれが正常な状態だとは彼も思っていたわけではなくて、だからこそ周囲が彼のことを異常だとみなし「治療」を試みるとすればそれは大体において失敗する。だから彼が自発的に動く必要があって、たまたまそれが教会でライヴをやるという偶然の機会だったわけだ。だから彼自体は今回の話では彼が自分を助けるために霧夢を助ける必要性があるという自覚は全然ない。しかし彼には霧夢の絵と彼の音楽がネット上で交流があったという動機がある。
 これは度々触れることではあるのだが、文化人類学的にいう、「人は本当に欲しいものは与えることによってしか手に入れることができない」という構造であって、彼自身は決して自覚的に助かりたいと思っているわけではないのだろうが、他人を助ける(助けようとする)ことによって結果的に自分も助かるというところが込められていると見るのだがどうか。