AKIBA'S TRIP -THE ANIMATION- 第13話

 最后が一番雑だったかねぇ。
 なんか秋葉の主を倒して大団円という形。全体的に祭の様相で、そのへんよくあるフォーマットではあるのだが、パロディ多目で遊んでいるのが個人的には今一だった。ようするに逃げたんでしょとしか思えなかった。とはいえ、現実もそうだが事態が悪化してから対処療法ってのは一番不味いやり方であって、そうならないような予防というかそういうのが本筋。が、そういうのをこういうドラマで描くとすると、地味な展開にしかならないので、事態を悪化させてそれをスマートなやり方なり努力なりで覆すというカタルシスにしないと見栄えはせんわな。だから「みんなが愛する心が秋葉を救う」というのはおそらくテキスト側でもお笑いとしか考えてなくて、その念仏をいかにも馬鹿馬鹿しく描くことによって現実はこうではないよという主張をする手法と考えるしかない。本当に一人一人の心がけでなんとかなるとでもいうのならそもそもこんな事態にはなってないし、おまえも土壇場で一人一人の心がけエネルギーでなんとかなった実体験なんてないだろ?、それが証拠にあの表現規制が大好きな自民盗が今やりたい放題やってるし、本来ならサブカル好きなオタクは自分の領域を守りたいんだったら権力を常日頃監視して力を与えるような機会をあたえてはならないのに、よりにもよってその決して全体から見ると一部ではない多数のオタクこそが自民盗を支持してしまっているというクソな現実に向き合えよってなもんだ。本当に自分の領域をオタクとして守りたいのであれば、この作品でいう自警団のような行動を心がけておくべきであって、バカ面下げて一時の興奮に身を任せてサイリウムを振ることではないということがスタッフの言いたいことであるのならばまぁわからなくもないが、あの表現ではそこまで伝えられないでしょといった感じ。が、そもそもB級作品であることが前提で作られているわけで、正直そこまで期待するというのは酷というもの。


 というわけで、最終回としてはどうにも評価が困る出来ではあったのだが、全体的に見ると思わぬ拾い物レヴェルの作品で割と楽しんでた。新番チェックのときは秋葉の歴史的なものを期待し、友人の(ゲーム原作であるというあたりからの)観測を聞いてちょっと失望してたんだが、実際に視聴してみると最初に自分が期待していたネタを仕込んでくれていたし、そのネタの掘り下げも個人的には大満足。マニアからすると掘り下げようが足りないと言うのかもしれないが、掘り下げすぎると視聴者置いてけぼりになってしまうので、このくらいの塩梅がなかなかのもの。
 あと気になったのがやはりやりがい搾取型のアルバイト回。これは秋葉を舞台にしてはいても秋葉特有というよりは一般性が高い…というよりは秋葉全然関係ないネタではあるので、そのへん社会問題を織り込んできたんだろうなというのがわかる。
 あと、これもわかりにくい表現だと思うのだが、終盤のボスの憂いというのは、結構な数の秋葉愛好者のものと同じであって、こうアニメやゲーム販売主体の街になってしまっているというのはどちらかというと批判対象にしてると思う。秋葉は電子部品の町としての顔が長かったので、技術立国日本を支える企業がなにかちょっと実験でもしようかというときにひょいと秋葉に行って部品を物色して必要なものをそろえるって使われ方をしてた。で、秋葉のように種々の部品屋が集約されていることはそれなりに必要なことであって、日本のあり方を支える一つの部品・聖地ではあったのだ。それがアニメやゲームなどのサブカルコンテンツの街になるのは百歩譲ってよいにしても、それは決して文化の発信地として機能するのではなく、単なる消費地としてしか機能してないのはちょっと如何なものかと思わなくもないのだ。そういう消費地としての秋葉の利用のされ方が定着したからこそ、その技術立国を支えてきた屋台骨という要素が薄まり、単に消費するだけのオタクがより多く集まってきたせいで、逆にそれを権力側に(特に表現規制として)利用されてしまうという無様な有様になっているわけで、この状況はどうよ?という主張とまではいわないまでも、そういう構造を表現してはいるわなぐらいには思った。それが顕著なのが前述のやりがい搾取型アルバイトの回であって、あれは客観的に見たら明らかにおかしいし、本人も冷静に考えたらおかしいと気付く事柄ではあるんだけど、権力側に言いくるめられて結果的にそのおかしい構造を自ら喜んで支えてしまっているという流れになっている。そこまで考えるとやはりこの作品はコメディとしても軽妙だし、秋葉というネタをよく研究してそれなりに表現しているし、そこに現代性を与えて文化資本の危機について描いているという点では良くできていると思う。下品ではあるけど、かなりテキストゝしては個人的に評価の高い作品。