ガッチャマンクラウズ インサイト 第12話

 やらせも手加減無しにやれば同情を買えるとでも?。
 なんか無理矢理話を畳んだ感パネェ。クラウズ無印の最終話でも今回も感じたのが陳腐さ。うーんなんだろうな?。本当なら自決の精神をもっと広範に問い詰めると思っていたんだけど、わかりやすさを重視してかゲルサドラを受け入れるか放逐するかの二択にまとめているし、そんなチンケな話がしたかったのか?と訝しがるほどのレヴェル。もちろん話の主軸は「自分で考える」ということであって、そのへんはしっかりしているのでメッセージがなんであるかは疑いようはないんだけど、しかしこれはどーなの?という残念感が沸々と。
 が、なんともスタッフを責められないのがめんどくさいところ。こういう描写をしているからには当然スタッフはこの作品に対する反響をそれこそシリーズ最初から窺ってるだろうし、だからこそお無印/インサイトの間に時間を取って、インサイトはできるだけ視聴者に受け入れられやすいだろうという変更の余地を残したといえる。
 で、無印のほうは視聴開始当時凄く期待していた記憶があって、それは一般人の社会参加におけるマッチングの可否だとか、そこに民主主義を根幹から考える構想が明らかに仕込まれていて、そして人を善行に駆り立てる動機とか、その動機はかならずしも善意だけによるものではないが、そのこと自体に無自覚な人間も多いし、確信犯的に善意を偽装する人間もいて、そのことを乗り越えていかに世界をアップデートするか?という投げかけが壮大でもあって楽しみにしていたのだ。言動の匿名性に関しての是非とかもあって、現代的な要素を取り込んだ意欲的な作品だったと思う。
 が、なんだろ?。この着地点の易しさというか、演技の開始時にはウルトラCを期待させるものが、終わってみればなんのひねりもなく普通に着地したというあっけにとられた感は…というもので頭が一杯。
 で、やはりその当初掲げていた問題提起が、いわゆる市場ウォッチとやらで、どうやらウケがよくないし、そういうこむずかしいテーマを視聴者は嫌ってるのでは?という結論に達して、わかりやすい脚本に直したとしか思えない。なんだよ、小学生の学級会じゃねぇんだから、一人一人がしっかり考えることで終わらせて何か問題が解決したことが一つでもあったのかとツッコみを入れたくもなる。で、クライマックスが盛大なやらせでお涙頂戴という形をとっているんだから、それがたとえスタッフの皮肉だろうと、視聴を終わってのこのヘナヘナ感を何とかしていただきたいところ。
 いやまぁ今までの描写で、はじめを媒介として視聴者にものを考えさせるつくりだとか、場の雰囲気をくうさまというキャラで視覚化して、それを謎解きさせるとか、手法としてあぁ手馴れてるなとか感心させられるものはあったのだが、いやまぁ本当に着地点の安易さ一つとっても残念に思われてならない。おそらくストーリーを考えているスタッフの頭のなかにはもっと複雑な構想があって、それを実現できない無念さもあろうし、万人に対してのわかりやすさを考慮したらしかたがないと受け入れもしているのだろうが、重ね重ね提起した問題に対しての着地点を考えると惜しいというか、残念な作品。せめて展開部でもっと華麗に社会問題を矢継ぎ早に突きつけて見せて、終盤に至ってばたばた畳んでめくるめく絵巻が繰り広げられていたことを感じさせないほど澄ました態度でクライマックスに入るってんならそれなりに評価もするんだけど、これだと確かに万人には受け入れられやすいだろうけど、記憶にもそれほど残らず忘れ去られるのも早いって立ち位置から外れることはないのではなかろうか。まぁ、繰り返しヒーローとはとか言わせてるから、社会問題に深く切れ込んでスッキリ感が失われても本末転倒という判断もあったのだと思われる。悪くはないんだよ。悪くはないけど過度の期待は持たせるなよ〜、人が悪いなぁといった感じ。