天体のメソッド 第12話

 時間の巻戻しかよ…ありきたりな。
 と思ってたらちょっと様子が違った。大雑把に言えば、前回までが「ノエルがみんなの願いをかなえる話」で、今回はノエルの居ない世界をやり直しといったところ。但し、ノエル抜きで考えたらそもそも昔の友人との再会って普通こんなもんだろといったもの。
 なんつーか、乃々香と汐音だけで、他の三人がノエルの事をちっとも憶えてないってやりすぎだろと思っていろいろ考えを巡らせていたんだけど、冒頭が第1話と同じシーンなのも気になって、本当に最初っから見直してた。ザッピング程度で1話1話をじっくり振り返ってたわけではないんだけど、回想シーンに気をつけていると、過去ノエルと会ってるのは乃々香と汐音だけなんだなということがわかってビックリ。五人が昔会ってた訳ではないのか…ぼんやり見てたんじゃダメなんだなと反省する次第。とはいえねぇ。
 うーん、ノエルはなぜ願いが叶うと消えてしまうんだろ?とか、そりゃまぁ用が無くなったら一緒にいる必然性は無いよな、西洋宗教のように願いは神が叶えるものであって、その神はいつも一緒にいるというのとは違い、割と日本の神とかはいろいろなものに宿るとはいうが、困ったときの神頼みというようにあまり身近に居る存在ではなく、用があるときだけに意識するようなものだろうから不自然ではない。が、これも見返してみてわかったのは、ノエルは願いをかなえようとして相手をよく知るという行為を行っているから、お互いがよく知り合うことによってわだかまりを無くしていった経緯からすると、結局のところノエルってのは各人に備わっている別人格ではないか?と思えてきた。要するに素直になれない自分に対して問い返しを行うもう一人の自分ってヤツ。が、作品上ノエルはやはり別人格として描かれているだけでなく、それぞれの別人格と考えると重なり合っている部分が多くて境界が曖昧なので、そう特定するよりも、各人の抱えている問題点を浮かび上がらせるための補助線っていう役割のほうがしっくりくる。
 だからこそ、今回のように補助線がない場合をあらためて示して、それがある場合と比較させるって意味合いもあるのかねぇと思ったりもするが、やはり自分にはこれぞといって特定できるものではなかった。確信といえるほどでもないが、おそらく次回はまたノエルと再会すると思うがやはり次を見ないことにはいろいろもやもやするのが晴れないというのはある。
 なんか繰り返し視聴には耐えないとか書いたような気がするが、今回見返しを行ってみてそうでもないなと思った次第。扱っているものが個人のどうしようもない身勝手な感情だったり、いろいろ矛盾する点をSF設定で都合をあわせているとかなど、結構気になる部分はあるんだけど、こゝに至って思うには結構この作品ってなぜか面白いなと思わせるものがあって自分でも驚いている。