天体のメソッド 第10話

 確信はないけど、この作品の狙いがわかりかけてきたというか。
 っつーか、この作品、原作付きかと思ったらオリジナルアニメなのね。キャラクター原案が見当たらないということに気付いてggってみたらそうだったという。最近のオリジナルアニメは、あたかも原作付きのように見せかけるOP映像が多いので困るな。
 この作品のターゲット層がどの辺にあるのかといろいろ考えてみて、キャラ達が中学生だから中高生向けなんだろう、少なくともメインターゲットはその辺に設定し、あとはどう広く拾うかあたりなんだろうなと思っていたが、どうやらそう考えるのは間違っているっぽい。よく考えてみればアレだが、そもそも当の中学生が、小学生の頃の約束を覚えていてそれを取り戻すために奮闘するなどありえないことであって、むしろ背伸びして大人っぽく振舞いたいはず。だから中高生がこの作品を描かれるまゝ受け取ったとしたらとんでもないメルヒェンにしか見えなくて、あまり支持はしないだろう。むしろこの作品はもっと年齢層が高めにターゲット層が設定されていて、中高生はよっぽど繊細な精神を持っていなければスルー推奨で作られていると見たほうがよさそう。
 では、年齢層が高めの層が、キャラ達の小学生のときの繋がりが断たれ、それを取り戻す様自体を見てそのこと自体に興味を持つかといわれたらそんなことはなくて、おそらく小学生の頃のキャラ達は、視聴者の例えば就職したての頃の初々しい気持ちだとか、出会った頃の二人の楽しかった日々だとかそういうものゝメタファーになっていて、そういうものが読み取れないと「こいつらいい年こいて何やってんだ?」ということになる。視聴者を選ぶ作品というわけだ。とはいえ、そんなに不親切かというと、今ドキというか昔からもそうではあったが、幼児向けのアニメや特撮でも、メインターゲットはたしかに幼児なのだが、作品のメッセージ性はむしろ幼児と同時に視聴しているであろう親にも刺さるように脚本が練られているわけで、それをクリアしたら回りくどいやり取りを楽しめるという仕立てにしてあるんだろう。そもそも主人公にしてからが、せいぜい5〜6年、まぁそう多く見積もらなくても3〜4年前の友人のことをすっかり忘れているという設定からしておかしいと考えるべき。あの有様はむしろ心理学上で言う逃避行動に近いものであって、思い出したくないことを極力考えないようにしていたら本当にそれがなかったかのように振舞えるというむしろ大人にこそ見られがちな行動ではある。もちろん小学生の頃のキャラ達の思い出は、視聴者が自分の印象深い思い出に重ねてもらって構わないので、もちろん童心の頃でもよいし、学生時代には繋がりあっていた心が、就職して以降いろんな利害関係でさゝくれ立つというのでもよいはず。そのへん、キャラ達の履歴は視聴者のどんなケースにも当てはめてくださいよという態度だろうな。
 そのへんノエルの存在がキーとなりそうなのだが、振り返ってみると昔のつながりを取り戻すための媒体にはなっているが、注意深く推測してみると、別にノエルはいなくてもこの物語は成り立っているのが巧妙な作り。初めっからノエルは形を与えられてはいても抽象的な存在に仕立て上げられていて、キャラ達が自問自答する際のもう一人の自分として描かれている。ノエルがそういう抽象的な媒介であるからこそ、実はノエルが果たした役割はキャラ達の奮闘なり努力のメタファーになっている。
 今となっては誰も彼もがノエルと別れることを惜しんで各人迷走してはいるが、基本的にどのキャラもノエルとの別れは必然だと確信しているはずで、心理的な抵抗を試みていると思われる。よくできているけど極めてナイーヴな作品だなぁと思う次第。