なんかミもフタもないな。
選挙でゲルサドラが勝ってしまうという話。というのも日本人は空気に流されやすく、自分の意見を持たないからという理屈付け。同調圧力についてはあまり触れているように思えなかったかな。理詰夢にゲルサドラは危険だと言わせていたが、今までの描写を見る限り、彼自身が危険なのではなく、大衆が危険だからその大衆の総意を実現してしまおうとする彼がなにか取り返しのつかないことをしてしまうということになるのだろう。つまり、ゲルサドラはあくまで媒体であって、危険なのは大衆自身ということになる。ゲルサドラ自身に悪意がないだけにこれは厳しい。
一人一人が自分の頭で考える、内発的な人間になるべきというのは古株のガッチャマンサイドに言わせており、おそらくこれが作品スタッフのメッセーヂだとは思うが、これがなかなか難しい。そういう市民としての基礎を作り出すのは本来学校の役割(社会化)なんだけど、昭和期は産業戦士、つまり奴隷を作り出すことが主眼だったし、バブル以降はモンペに代表されるように受益者の最大利益を追求するという方向に流されてしまった。要するに消費者をつくるようになってしまって、市民を作るということにならなかった。そしてこれは自民盗の悪政というよりは、いやもちろんそういう素地をつくったのは自民盗の悪政であることは間違いないのだが庶民のクレーマー・モンスターペアレンツ化はむしろ大企業や自民盗が困る結果になっているわけで、むしろ庶民の抑制の効かない欲望が生み出した徒花という性質が強く、自民盗は軌道修正として国民の再奴隷化を試みている段階で、なんつーか、人間時間が経てば経験から学んで少しずつでも賢くなっていくのかと思うと、全然そういう方向に行かないという。昭和の中期後期はまだ国民の奴隷化といってもそれは産業戦士としての側面だけであって、思想上はさすがに先の大戦の惨めな敗北がまだ国民全体に共有されていた時代であり、ある意味抑制がゝゝっていたが、先の大戦の経験者が死に絶えていく現状では戦前レジームの復活を目論むアベ政権の思惑にずるずると嵌っている状態であって、そのへん、やはりテキストスタッフは昭和後期からの変容を間近に見ているからこそ、この大衆を決して信用しない描写になっているんだろうなと思うと、なるほどその悲しみは胸に沁むわなと思った次第。
しかし、はじめだけが賢い選択をし続けるってストーリーテリングとしてどうなのよ?と思わなくも無いが、逆に彼女が失敗をしてしまう展開を作ってしまうと作品全体が不安定化してしまうので、これは痛し痒しの選択だったのかなと思わなくもない。もうはじめを見ると何が正しいかバレバレってのは本当なら避けたいところなんだけどね。せいぜい彼女の主張が奇抜に見えてしまう状況をつくり、視聴者に違和感を覚えさせるだけで精一杯といったところ。でもまぁ製作側がそこまで譲歩してもついてくる視聴者は少ないんだろうなと思うとちょっと思いやられるところはあるな。