霊剣山 星屑たちの宴 第6話

 全編説明台詞だらけ。
 主人公が修行をしてレヴェルアップする姿を描くものではあるんだけど、その修行の効能や理論の説明が主であって、絵でそれが表現できているわけでもなく、正直アニメである必要性も感じない。中国で仙道がどのように語られ受け入れられているのかわかんないが、おそらくこの作品の仙道はそのへんを踏まえているのかどうかわかんないオリジナル要素であるのではなかろうかと推測する。そういうフィクションとしての理屈に真面目にリアリティを追及するのは馬鹿馬鹿しいんだけど、語られているのはそういうファンタジー理論体系ではなくって、そういう形をとって語られる現代性なんだろうなと思われる。
 おそらく今、中国で起きている社会的変化ってのは日本のそれより大きくて、その社会変化は「末法の世」と表現されているからには決して良い変化というよりは混乱という意味合いが強いはず。その中で生きるために何が必要なのかというのを問うたのが本作品であるような気がして、それが主人公を積極的に読者に重ね合わせて「こういう訓練が必要なんじゃない?」とでも言いたげな様子。昇仙試験で主人公が見せた観察力や洞察力、そして実行力や機転などはまぁそうなんだが、この修行編では、世の中を渡っていくために、基本的な体力や修練に必要な主体性、成長するために必要な要素は旧来の方法を模倣するのではなく、現実にあわせて試行錯誤を自分で行わなければならないこと、他人にうまくいく方法が決して自分にもうまくいくとは限らないなど、語られていることの要点を押えてみると結構注目すべきことが羅列されているように思える。
 なんつーか、ネット小説という点で見れば、日本ではなろう小説を数点しか読んだことがないのだが、割と現代に生きていた主人公がローテクなファンタジー世界に飛ばされ、そのなかで主人公が現代の科学知識をローテク社会に当てはめて問題を解決するという、いかにも宝くじの当たり番号を未来から引き寄せるようなズルいことでトラブルシューティングをしてしまう作品が多いように思うのだが、この作品だとそういう安易な方法をとってないことに驚かされる。妙ちきりんな理屈を振りかざす割には、主人公が取り組んでいることは基本やその周辺事項であって、決して小手先のスキルアップなどではない。そういう作品がネットに上げられ、それがネットで多数の支持を受けるってこと自体、なんか日本は娯楽文学の面で中国に抜かれてしまってるのかなぁと思わなくも無い。いやまぁ前に述べたテンセント動漫の作品を他にも数点目を通した分だと、こりゃ日本の30〜40年前の漫画より劣るわみたいな作品が結構あって、その辺玉石混交っていった感じで、決して全体的に中国が日本より優れた作品が多いとは全然思えなかったりするんだけど。単純にあちらは人口が日本より10倍も多いんで、突き抜けた作品を書いても、それを支持してくれる人間のヴォリュームが無視できないほどにはあるのかも。日本だと、知識レヴェルが高く、かつサブカルにも興味を持つという両方の条件を満たす層が小さくて、それ向けの商売がヴォリューム的に成り立たないって事だとは思うが、それも日本の若者社会の変化があるのかなと思わなくも無い。