ステラ女学院高等科C3部 第11話

 ゆらの在り方がまんま部活動をやめて暇をもてあましてる高校生の姿っぽくて草生える。
 なんか大袈裟だなぁ。とはいえ、サバゲという点を除けば確かに入れ込んでいた部活動を挫折で辞め、復帰するまでの話だと考えると物語としてはそれなりの出来。
 ゆらと長次郎との対話は、長次郎がゆらの分身であると考えると、自分との対話と考えるべき。自分を認めることが先決で、それから他人も認めるということが導かれて、どこにも居場所がないと考えていたのが、社会的関係性を構築することでどこにでも居場所は築けるという結論に至るという流れ。降雨は、普通心理状態の表現ということが多いんだけど、悲しいだとか嬉しいだとかいう単純なものではなく、それまでのゆらのわだかまりを洗い流すという要素を示しているのがなにげにポイント高い。
 しかしなんだなぁ、これ、ドラマとして表現していることを考えたら、舞台がお嬢様高校だとか、キャラが女子高生だとかまったくそぐわない。もちろん題材がサバゲであることも何の冗談かとすら思う。もっと適切なものがあろうに、視聴者ウケするためにこういうスタイルにしなきゃならないというのは、スタッフとしても忸怩たるものがあるのだろうけど、なんで世の中こうなのか、どーしてこーなった感パネェ。例えるならノンアルコールビールみたいな滑稽さというべきか。アルコールを体内に入れてはならないからノンアルコールでないといけないが、しかし周囲がビールを飲んでいるから形だけでも似せなくてはならないからノンアルコールビールなんだよな。べつに酒じゃいけないんだったらアルコールの入ってない別の飲み物でいゝじゃんかと。茶でも水でもソフトヾリンクでも。日本酒と決めたら日本酒の、茶と決めたら茶のうまさを追及すればよいのであって、そういうのを視聴者は望んでいるのでは?とも思うのだが、世の中そう単純なものでもないんだろうな。要素を物語に落とし込む作業が良くできているだけになんかもったいないという感じがしてならないのだが。