琴浦さん 第2話

 終わってなかった。
 第1話にしてすでに最終回かと思われたが、全然そんなことはなかった。むしろ感動は前回より今回のほうが大きかったぐらい。というか、もしかして毎回最終回のような雰囲気というかそういうシチュを用意するってことなのか?。まぁさすがにそんなことはないだろうとは思うが。
 登場人物に不幸自慢させてという構造がなるほどゝは思うんだが、あとはこれの三角関係ってことなのか?。が、なんというか、人が壊れるのが他人の悪意であるというのが、まさしく現代的であるというか。
 また、ちょっと気になったのが、やはり男女の役割逆転現象。昔のドラマだと男を支える女という構図なのが、これだと女を支える男という形になっている。ESP研の部長・副部長の関係は実は脇役として昔からあったものだけども、それは主人公側と対立する側として描かれる場合が多く、主人公側を支えたり味方として引き立てるってのはあんまりみたことがない。いや、昔は男が一家の大黒柱としてカネを稼いでくるという存在だったけど、今だと男女関係なく雇われ人として働かされるわけだし、精神攻撃はこの物語のように女のほうが激しく、またその激しい攻撃に晒されるのもまた女のほうであるという構造もあって、不自然ではない気はする。
 しかし、こういうフィクションで語られるのもなんだが、琴浦が救われたというのも、ESP研のあり様からもわかるとおり、多様性といったところが大きそう。これが締め付けの厳しいところだと琴浦は同級生に潰されるよりも先に学校に潰されるであろうし、そうならなくても、ストレスに晒された同級生にその捌け口にされることは間違いない。最近人気の学級当たりの生徒定数増にしたって、財務省の経費削減は論外にしても、じゃぁだから1クラス当たりの生徒数を減らせばイジメは減らせるというのもまたお花畑であって、人数が少なければ、周囲を振り回す困ったチャンの影響を受けやすいのもまた小人数クラスであることもあって、むしろクラスの人数が多くて、多数派工作がしんどい環境だと、人間関係のエアポケットが生じてそこに居場所を確保することができるケースがあったりする。大学の大講義室での講義で、イジメが起こるなんてありえないわけでサ。まぁ大学の講義も大学生が呑気に携帯端末を弄るだけの場になって知識獲得の場になっていなかったり、小中高だって教員は板書をしたりわかりやすい語り口で教えた気になっているだけ、児童生徒もノートに写して授業を聞いたフリをしているだけで、全然勉強する場になっていないという現状もあるわけで、いやそのまぁ、学校っていちおう建前でも学習する場であったはずなのに、個人が知識獲得をするための目的集団になっていないし、もう個人がなにか利益を刈り取るだけの場になってしまっており、社会的なものからかけ離れているってのがね。イヤ、ヘンな話、個人を個人の欲望から隔離する必要があって、もう学校という個人が学習するのに場を共有する必要はないというか、害のほうが大きくなって、ネットでオンデマンドに学習すればよくね?と思ってしまうのだが。
 いや、今回の副部長のあり方が一番心に沁みたというか。部でも浮いたヲタクという風情なのに全然キャラが違う。