坂道のアポロン 第12話

 文化祭のリヴェンヂを五島の教会で?。
 うーん、わからないなりにも面白かった。まづ、この最終回を通して泣けたこと。別に千太郎はなにか犯罪をして逃げていたわけでもなく、喧嘩別れってわけでもないのに、普通に疎遠になっていた友人との再会なんだから、よかったねで済む話である。単純な仲直りで泣けるハズもなく、これはなんでだろ?というのが気にかゝる。
 そしてやはり千太郎が逃げた理由が今一わかんない。たゞ、千太郎が逃げるまでの推移を振り返ると、彼は薫に出会うまでは学校での居場所が無くってのはわかるんだけど、家庭ではそうでもないし、音楽で息抜きはできていたわけだ。で、薫に出会って初めて同性の友人が出来、日々が充実、失恋はするものゝ、学校ではちょっとした人気者にまでなり、帰ってきた父とは和解できたし、事故にあった妹は助かると、波乱ながらも開運お守りのような効果を薫は果たしていたわけで、千太郎はめくるめく日々を送っていた。おそらくそれまでの千太郎の日々はクソ面白くも無かったとは思う。普通だったらこの幸せな日々から逃げるということを考えないはずなんだが、自分的な予測だと、終盤数話の流れからすると、彼は「許された」という思いを強くしたんじゃなかろうか。だからこそ「許す」という立場の神父をめざしたということなんだろうと思ってみるんだが、やはり自信が無い。なぜ高校をやめてスグ神父だったのかの説明ができない。病院の屋上で「天使」と薫に呼びかけているということから、キリスト教に深く起因するのは間違いなさそうなんだが、そういう理屈付けというのはあまり見当たらない。彼自身キリスト教徒ではあるものゝ、日々聖書の教えを実行したが故の「報い」でもないし、そこらへんわかんないな。もしかするとこの物語がその聖書の背景を前提として組み立てられているのかもしれないんだが、そういう素養は自分にはほとんど無いのでどっちにしろ理解できない。
 というわけで、このまゝ総評になだれ込むわけなんだが、最后の千太郎の逃走がよくわからない他は普通の昔の青春グラフィティといった構造になっているんかな。おっさんホイホイにもなっているし、腐女子的に見れば薫×千太郎*1という組み合わせで楽しむことも出来る。昔のことについては別に当時を知らなくても雰囲気で楽しめるような気がするので、今の中高生も充分ターゲット層なんじゃなかろうか。物語の形式としては目新しいものはあまりなさそうに思うんだけど、逆に全世代に共通するエッセンスだけを取り出しているようで、これはデメリットにはあたらないだろう。人間関係を美しく描くことによって「昔はよかった」的な押し付けがましさがあるか?と言われたら、それはないと感じるなぁ。世相批判的な要素はおそらく入れなかったのだろう。
 というわけで、音楽映画との対比としても自分が昔見たサウンドオヴミュージックに負けてない*2んじゃないかという気がする。昔の音楽映画だと歌はうまいが演技が今一だとか、演技はそこそこだが、歌がそれほど魅力的でないなんてジレンマがあったと思うんだけど、そういう意味ではアニメーションとしての特質をよく生かしているんじゃなかろうか。こういうレヴェルの深夜アニメがどしどし出てきて欲しいところではある。というか、そういう役割を今まで果たそうとしてきたのがジブリアニメだけだったわけなんだが。プラマイはともかく名作評価は間違いないんじゃなかろうか。スタッフの皆様方には感謝を。

*1:千太郎×薫は少数派のような気がする

*2:マイフェイヴァリットシングスを入れてくるあたり、スタッフは意識していると思う